大変ひいきにしている和菓子屋さんがある。人気なので常に売り切れ早じまいなのだが、その日の午後は珍しく看板に
「苺大福あります」
の紙が貼られていた。これからお会いする方への手土産を探していたところ、丁度良かったので四人ほど列になっているおしりに並んだ。
と、前の親子連れ、子供は小学校低学年ほどであろうか、自分は苺大福になぞ関心はない、帰りたい、といささか乱暴な口調で切々と訴えている。しかしお母さんはこちらの苺大福の値打ちを知っているようで、なんとか留めようと必死である。
面白いからからかうことにした。
「ここの苺大福は大変美味しい。食べなければきっと後悔する」
子どもに向かってはきはきと宣言した。すると子供は目を丸くして母親に
(後悔するって何?)
とこそりと尋ねた。母親は、
「後になってから、食べておけばよかったなーって思うことよ」
と教え諭した。
私はさらに、
「ここの苺大福は白あんとこしあんがある。どっちも美味しいが私は白あんが好きだ」
宣言した。すると子供はお母さんに向かって、
「でもどっちも売り切れかもしれないよ!」
と言った。
よしよし、彼の心から帰りたいという気持ちは失われたようだ。上々である。すかさずお母さんは、
「売り切れてたら困るなあ、ちょっと見て来てくれる?」
と子供に頼んだ。頼まれた子供は順番を抜かして店に入るなどという行儀の悪いことはせず、殊勝にも小窓に回りつま先立ちに中をのぞいて
「ない!」
と言い放った。しかし入り口の引き戸は全面ガラスなので大人の背であれば苺大福が並んでいるところが見える。
あるのにないというのはなぜなのかわからず不思議だったので、
「ないことはないだろう、君上手に数は数えられるかい」
と挑発したら子供はしきりに背伸びをして
「誰か大人が来て僕を持ち上げてくれたらなぁ。あるかどうかが見えるのになぁ」
と言った。私は彼のまなざしが丁度窓の高さのところにあって覗けていると思っていたが実は覗けていなかったらしい。つまり彼の「ない」は「見えない」という意味であったのである。
そのうち親子の番が来た。
いったん店に入った子供がすぐに出て来て
「こしあん後六個だって!」
と教えてくれたので
「正確な報告ありがとう」
とお礼を言った。
白あんの在庫が気になったが、自分の番に店に入ったところ十個以上あった。十分に在庫があったので報告する必要を覚えなかったのだと知った。
お母さんは無事白あんとこしあんの苺大福を買えたようだ。私も無事お使い用の二つを買えた。子供は四月に一年生になるそうだ。多分これからたくさんよいこと面白いことがあるからお母さんも子供も頑張れ楽しめ。苺大福がお口に合うとよいな。