即興厨房

大船市場で野菜を大量に買い込んでええ感じのお総菜を一週間分作ってはブログに記録する人です。器は骨董屋でこつこつ集めたぐい飲みやお猪口です。美術展、本、たまの旅行も記事にします。好きな動物はチー付与のどんぐりです。

エゴン・シーレ展、国風盆栽展、味坊老酒舗、湯島天満宮梅祭り、吉池の生牡蠣

エゴン・シーレ展を見に行くのであれば、美術鑑賞用の単眼鏡を持っていくとよろしい。筆致と調色の変遷がとてもよくわかるからだ。『抒情詩人』においてストロークは大胆で分厚くところどころでひりだしただけの絵の具が隣り合っており関節ごとの指は一刷け、爪もぐるりと一刷けで描いている。『啓示』ではキャンバスの布目がわかる程度に絵の具の溶き方が薄くなっている。そして『ほおずきの実のある自画像』は筆致を生かしながら分厚すぎずとてもバランスが取れている。背景に筆の跡は目立たないが暗色の服は刷けの方向がしっちゃかめっちゃかでそれが自身の抱えている精神的何かを表したいのかそれとも衣服の毛羽の表現に過ぎないのかはよくわからない。それから『カール・グリュンバルトの肖像』、顔は大抵シーレにとって特別注意深く描きたい身体の部分だったようで、象牙色のガッシュを叩いたり刷いたりした後いつもの碧と朱で静脈と血色を置き輪郭線を朱それとも黒で丁寧に縁取っている。徴兵され軍の後方支援に携わっていたころに描かれた『荷造り部屋』を見ると、雑多に置かれたものの縁を正確に検出していたことが手前の描きかけの籠から見て取ることができる。『プット』の幼い子供のまろやかな骨格と肉、その背中の肉感、静脈の碧を差されたことで際立つあたたかな血色、『妊婦』におけるつつましやかな手と正面を向いた人物への影の入れ方、『肩掛けを羽織る裸婦、後ろ姿』の精確で厳密なアキレス腱、骨格、そしてその上に張られた筋肉のとらえ方。『菊』の装飾的で独創的で死のにおいがするのに横溢する生命力。『母と子』における静謐に子を抱く母、母を顧みずただ驚愕したように正面を見据える赤子など。そして何より、『横たわる女』、彼女の世界の起源はとても魅力的な揚所のように美しい紅で彩られているが、何よりも腿の肉感が素晴らしい。豊かで緻密な内腿、脂肪と筋肉に満たされた柔らかい充実。画家が観察し写し取ろうとしたその肉体はカンバスに置かれた絵の具を通して今確かに血が通い質量のある肉として私の目の前にあるのだ。

ほかにも、いろいろ、あらゆるものが。

エゴン・シーレ展に行く前に私はまず腹ごしらえのための何かを仕入れることにした。何しろ10時半に予約を取ったはいいが何時まで見るかわからないのだ。隣の人がキューキューおなかを鳴らしていたら周りも落ち着いて鑑賞できないだろう。

というわけでGoogleMapであたりをつけてキィニョン エキュート上野店を訪ねた。こちら開店が8時、エキナカにあり大変便利なパン屋さんである。リンゴとシナモンのスコーンと王様のロールパンを購入した。王様のロールパンをかじりながら美術館に向かった。頗るおいしくふわっふわである。なかなか幸先がよろしいな。

美術館は長蛇の列であったが進みは弛みない。さしたる苛立ちもなく入り口にたどり着く。館員の方に撮影可能な作品はあるかを聞いたところあるとのことだったので標準レンズをセットしたカメラ、手帖、単眼鏡、4Bの鉛筆、鉛筆削り、遠方用メガネ、温かいお茶の入ったマグボトルを装備しトイレに行ってから入り口に向かう。再入場が不可なので勢い装備品の確認準備とも念入りになる。

展覧会はエゴン・シーレの作品を多く蒐集しているレオポルド美術館の企画によるものなので、シーレの作品とともにシーレと交流のあった同時代の作家の作品を多く展示している。壁には彼の手紙から抜粋した言葉や詩などが掲示されている。特筆すべきはやはりシーレの才を見出したみんな大好きグスタフ・クリムトとのやりとりであろう。「僕には才能がありますか?」という17歳のエゴン・シーレの問いに「才能がある? それどころかありすぎる」といったグスタフ・クリムト。シーレの作品に、クリムト印象派的または点描的な(象牙色でぬった肌に静脈や肌の赤みなどを碧や朱や紅で細かく差していくという程の意味)の肌色の表現、平面構成などを見ることができた。シーレは生命の輝きを描くというような言葉を残していたと思うが、彼にとって生命の輝きとは肌から匂い立つ静脈血の碧や血色の朱だったのだろうかと思う。

彼が一時滞在したクルマウを中心とした風景画のコーナーは撮影可である。この中で私が一等好きだったのはクルマウの街並みのスケッチである。

わかりますかこの…なんというか、無駄がなくて精確無比で端正で…好きぃぃぃ!

こういう展覧会で知らない作品に出合うのは心の栄養である。ウィーン分離派のポスターはどれもとても実験的な画面構成で新しいものを人々に示してやろうという意欲に溢れていて面白かった。アルビン・エッガー=リンツの『エッツ渓谷の牧歌的風景』はとてもなだらかで豊かで美しい農園の風景だった。コロマン・モーザーの『山脈』枕草子の「やうやう白くなりゆく山際」を思わせる静謐であった。

シーレは28歳、兵役から帰ってきてのちにはやり病で亡くなった。展覧会では「アイデンティティーの追求」と題された章が最も血気盛んに死の淵近くに迷っていて一等好きだった。後これ言ったら怒られそうだけどわりとこう、荒木飛呂彦先生がですね、影響をですね、受けているのではないかと思ったりしたりしなかったり。

 

というわけで作品名を記録したり作品のメモをとったり単眼鏡でねちねち覗いたりしてなんだかんだで1時半くらいに精神的におなか一杯になって会場を辞したところで

見えてしまった。

何が?

盆栽が。

なんとまぁ本日この日、東京都美術館の地下で、国風盆栽展という日本の特等の盆栽の展覧会が開催されていたのである。シーレ会場の眼下に広がる威風堂々たる盆栽の面々。

空腹を抱えながらこういうものを見るのも悪くない。そうでしょう?

エゴン・シーレ展を見た人は300円割引になるとのことで入り口で700円を払う。会場は盆栽のための空調設定になっているので温かくして参ろうぞ。地下3階の第一会場でよくわからんがカッコいいと思って眺めていると水を遣りに来た運営の方がご婦人二人に盆栽の構成を説明しているところに出くわす。乗っかり拝聴していると、

  • 盆栽は添え物と合わせて鑑賞するものである(添え物とは盆栽に添えてある小さな鉢のこと)
  • 添え物に向かうように流れが作られており、その流れを意識して最初から鉢の真ん中から少し外したところに植えられている
  • 以前は左右に衝立を配していたがくどいので竹の仕切りを置いている
  • 実は鉢がすごい

等のことを仄聞した。多分話半分も理解してないけど

写真撮るときは添え物も一緒に撮るべし!

ということだけは感じ入った。

上の題箋はこちら。

家に帰って写真を見返して、会場で得たあの沸き立つような感動は一ミリも写し撮れていないことにまぁまぁ失望した。本物はすごい!本物はいい!是非皆さんもガチモンの盆栽展に出くわしたら迷わず行け!人の技営みと自然の融合に圧倒されたくば盆栽を見よ!

 

というわけでようやく美術館を後にしておなかを蓋ぎにいく。道すがらで魚草を眺めるが並んでてたいへん。第二候補としてツイッターで見かけた味坊老酒舗さんに向かう。

お通し。ミミガーとキャベツと玉ねぎなどをお酢で和えたもの。すさまじくうまい。

もつ煮込み580円。食べたことない味なのになぜか「そう!これこれ!こういうのが食べたかったんだよ!」となるのは脳みその不思議な働きである。こうなんかいろんな内臓がくにくにもちもちしてて大変美味しい。厚揚げが入ってるのも気が利いてるねぇ。

呑んべえの玉手箱なる1100円のメニューがあったがどうも平日限定らしい。あとここの始めましたの欄に書いてある点心は大して面白くない。奥から見えるキッチンの左上に売れ筋メニューの黒板があるので何頼んでわかんないときはそれ見て頼むといいよ!今度人数揃えて来て食べたいやね。

そのあと有名なプリンの店に足を向けたが待ちの列が三重になっていたので見合わせた。その手前にEUSA HALAL MARTというすごく面白そうな食材の店を見つけ入ってみる。店先に謎の野菜があった。店主に聞いたところアムラとドラムスティックだという。どちらも健康に大変よい野菜だが、アムラは味が苦くて頑張って食べなくてはならない、そのままかじって食べるものだとのこと。ドラムスティックは刻んでスープに入れると美味しいそうだ。見たことない食材を見つけると買いたくなる病がここでも発動し、アムラ5個200円、ドラムスティック1本180円を買った。それでですね、ドラムスティック、確かにレジ袋に入れてもらったんだが帰ったら見当たらず袋が破れている。おそらくドラムスティックは固いので歩いているうちに袋を突き破って落ちたのだと思われる。つよつよだなドラムスティック。アムラだが家に帰ってネットで検索したら刻んでインド風の漬物にするとよいとあった。ちょっと食べてみたらすこぶる渋苦酸っぱいので刻んでトマトサラダに入れたがトマトに悪いことをした。もっとまじめに微塵に刻んで玉ねぎやニンジンと合わせてちゃんとしたインド風の漬物にするべきだったのだ。怠惰な調理人を許しておくれアムラとトマトよ。

吉池で噂の生ガキを仕入れようと画策するが売り切れ。諦めて帰ろうとした駅で湯島天神の梅まつりのポスターが目に入る。そういえば湯島天神にはいったことがあったかなかったか。散策の足を延ばしてみることにした。

途中つる瀬という和菓子屋を見つけ団子を二串買った。

湯島天神女坂。

帰ってから湯島天神のサイトを見たら梅の品種が事細かに書かれていた。もう少しきちんと見ておけばよかったと後になって思った。

ここでは実は今年初のおみくじを引いて、いやその、一つ目があまりよろしくなかったので引き直しましてな、中吉というところで一つ。

帰路未練がましく吉池に行ったら、

あった!

ありましたよ生牡蠣!

というわけで買って帰った。これは楽しい。大儲けだ。

ところで御徒町がすごくいい感じに擬人化されてて衝撃を受けた。

帰ってから頂いたお団子。昔ながらの味なのだろう。コメントは避ける。

さて吉池で購入した「三陸のきれいな海の吉池のいちおし宮城の生かき」である。

ざるにあけて洗わず器に移しただけである。食べてみたらまぁ味が濃い。ピンクソルトをがりがりやろうと準備してたがそんなもんいらんというくらい濃口のうまさ。これだけの生ガキが789円でいただけるのは僥倖である。生牡蠣だけなら店行かんでこれ食べてればよろしかろうという気持ちになる。大体殻付きのだとなんか取り損ねたほんのぽっちりの貝柱が惜しい気持ちになったりするからね。ただの貧乏性?そうともいう。ただそのままだとやはり海産物のにおいが嚥下した後喉の奥に上がってくるのでかんずりを載せてポン酢でいただいた。他柑橘とか何が合うか全部試したくなるな、これ。上野行くときは保冷バッグ持ってって絶対買ってやる。

佳い一日であった。