即興厨房

大船市場で野菜を大量に買い込んでええ感じのお総菜を一週間分作ってはブログに記録する人です。器は骨董屋でこつこつ集めたぐい飲みやお猪口です。美術展、本、たまの旅行も記事にします。好きな動物はチー付与のどんぐりです。

富士山の樹海で自死した子どもを火葬した際の記録

3月末に子どもが行方不明になり、警察に行方不明届を出した。2週間後に富士山の樹海で子ども「らしき」遺体が発見されたので翌日富士吉田署に行き頬の粘膜細胞をDNA鑑定の検体として提供。1か月後子どもとの判定が出たので翌週末に80近い母を連れて火葬に参った。

なぜその週末に火葬できなかったかというと、火葬場がいっぱいだったからである。

なお、富士吉田署のある富士吉田市には、富士山の登り口があること、富士急ハイランドがあることから、登山シーズンの宿の確保はなかなかに難しい。

鑑定結果が出る前にあたりをつけて宿を予約しておいたのは周到と言うべきだろう。

ネットで見つけた富士吉田の葬儀場の方には、メールで火葬の相談をした最初から最後まで本当にお世話になった。ありがとうございました。

 

主に肉体的疲労のためなかなか筆を取れなかったが、このままだと記憶が揮発する一方なのでとりいそぎ記録する。読み直して修正が入るかもしれないが先ずは初稿を。

 

これも鑑定結果が出る3日前、私は富士吉田の葬儀社にメールで状況を伝え火葬について相談していた。何しろそもそも葬儀に慣れていないところ他県で自死である。わけわからんの欲張りセットか。

葬儀社の方は直接電話で話をした方がよいとの返信を下さり、お電話したところ費用の見積もりやら手続きやらをざっくりご説明頂いた。

 

翌週午後、帰りの電車の中で警察から鑑定結果が出たとの連絡があった。すぐに葬儀社にメールをする。その週末は火葬場の予約がいっぱいなので翌週末はどうかとのこと。ホテルは確保してあったので、あとは足をどうするかということになる。

有給をつぶさず且つ帰ってから私が休む時間も確保したい。となると一日目に全てを済ませ二日目早々に帰るようなコースにしたい。

できるのか?

葬儀社の方に相談したところ、「朝9時半に富士吉田警察に着いていただければ、警察での検案書の受け取り、市役所への死亡届、警察での遺体引き取り、火葬まで一日で全て済ませることができます!」とのこと。

さぁプランの構築だ!一人旅スキルが火を噴くぜ!(やけくそ)

 

ところが。

Google君がいい感じの経路を提案してくれない。

今回は母というスポンサーがいる関係で、足に金の糸目はつけないつもりだったのだが、そもそも鉄道だとアクセスが恐ろしく悪い。DNAの検体を提供しに行った際の経路ではコロナ規制解禁後の登山客で込み合う電車の座席を確保できず母の健康がヤバイ。乗り換えも多くそもそも9時半までにたどり着けないと来たもんだ。

到着時間をずらして何度も検索しているうちに、長距離バスという選択肢が見つかった。

今度は長距離バスの検索サイトで富士吉田への経路を検索する。

と。

なんと辻堂発で8時45分に下吉田に着く長距離バスが運行しているではないか!そこから歩いて数分のバス停からバスに乗れば富士吉田署に9時半までにたどり着くことができるぜ!ちなみに長距離バス料金はなんとたったの2000円だ!多分富士登山富士急ハイランドへの足なのですげぇ安いぜ!

朝早いのは特段問題ないのでそのバスを予約し、葬儀社の方に火葬場の予約を依頼した。その際子どもの本籍地などの情報を送った。

葬儀社の方は火葬場まで送り手続きの手伝いもしてくれるがその後は現地解散となる。前回タクシーが確保できなかった苦い思い出から火葬場から子どもが発見された樹海の縁を経由してホテルに戻る経路でタクシーを予約。折角めったに行かないところなので昼食夕食も全て自分好みのところを食べログとGoogleMapのレストラン検索で探しまくり決定。「母の健康第一私の欲望第二プラン」を組み上げ、父にメールでスケジュールを共有する。

また子どもであると同定できたので職場の同僚にも朝礼で共有、行方不明届を出してから職場に日常があることが非常に助けになったのでこれまでと同じように接してほしいと伝えたところいつもと同じように接してくださった。職場の皆さんありがとう。大体こんなん言われても何言っていいかわかんないもんな。

それから副葬品の準備。これが割と大変だった。見ない方がいいと言われた遺体であれば服も傷んでいるだろうから寮から戻ってきた服で穏やかなデザインのものを選んで持っていく。母に靴は持って行かないのかと言われ重いのになぁと思ったが結果として持って行ってよかった。後は好きだったおやつだの、お店の同僚の方に聞いた好きだったお酒だの(瓶は棺に入れられないので樹海の縁で撒いた。あと1本まるまるは重いし高いのでミニチュアにした)、お店でお誕生日をお祝いしてもらったときの写真だの、好きだったキャラクターのぬいぐるみだの、それから前日に小さな花束を買って冷蔵庫に突っ込んでおいた。ちっちゃい花束は青山フラワーセンターが一番お値頃である。複数店舗を回れば違う取り合わせの花束をゲットできるので頑張りましょう(横浜で降りて二軒回った)。

現地でバタバタするのが嫌なので、検案書代1万6500円、火葬場使用料6万円、葬儀料13万2000円、葬儀社へのお礼1万円は白の封筒にあらかじめ入れ、裏面に代金と用途を記載しておいた。

少なくとも警察は受け取ってくれないだろうとは思いつつ、警察の方と葬儀社の方への受け取ってくれそうな低価格で小分けできる地元感のあるお菓子も買った。

そしてハンコ!ハンコを忘れずに!と葬儀社の方にえらい念を押された。どうもハンコを忘れて役所の手続きができなかったという事例があったそうだ。よくある姓なら百均で買えるが、珍しい姓はどうにもならないのでハンコ!

というわけで実印を持参した。

母が聖歌「かみともにいまして」を歌いたいというので音源を探したがこれが結構難しかった。最終的にはyoutubeで見つかったんだが冒頭に結構な音量で溌剌としたコマーシャルを流して下さりやがるので採用を迷ったが無料には勝てず運用でなんとかすることにした。これでも私自身幼児洗礼を受けたクチなので聖歌には強い。私の好きな「主よみもとに」の他葬儀っぽい聖歌をいくつかお気に入りに登録した。

あと骨壺。

葬儀社に聞いたところ、サイズはお墓や土地柄によるとのことだった。母に確認したところ、墓地が関西にあるせいか骨壺から納骨室に流し込んだ覚えがあるとのこと。一時保管のためにでかくて重い骨壺買うのもなーどうせ全身の骨納まらんしなーと悩んでいたところ、アマゾンで納骨袋なるものを見つけたので勇んで購入した。

納骨袋【無地】 骨壺袋 さらし(木綿) 日本製

軽くて安いうえに全身の骨が収まるのでお骨ジャータイプのお墓をお持ちの方にはお勧めである。ただ焼きたてのお骨を入れると燃えかねないので冷ましてから入れるように。

当日は朝6時15分最寄り駅発の電車から始まる。母と駅で落ちあい、大分早く辻堂に着く。辻堂からはバスに乗っていればいいので大変楽である。しかしバスなのでやはり遅れがある。バスから富士吉田のタクシーを打診したがつかまりゃせん。葬儀社に遅れる旨を電話したところ、長距離バスのバス停まで車を出してくださることになった。大変ありがたいことである。

そのまま富士吉田警察署へ。

富士吉田警察署でまず行うことは、医師による検案書の受け取りである。警察が立て替えてくれた検案書代1万6500円を払い、検案書を受け取った後、今度は市役所に参る。富士吉田の市役所は他県から来て自死する人が多いため他県の死亡届を受け付けているらしい。地元の方にとっては難儀なことだが有難いことである。

死亡届は皆様の御指南もあり思い切って10枚コピーを取った。葬儀社の方が手続きを手厚く手伝ってくれたので自分は書類書いたくらいしか覚えがない。火葬書類を受け取った後は予定していた警察署近くの喫茶店もんぶらんに送っていただき食事をとった。

お店の人にお薦めを聞いたところ、ナポリタン、プリンとのこと。素直にナポリタン950円とプリンサンデー600円を注文する。

横浜の麺ごんぶとでフライパンでこんがらせて甘味を出したナポリタンと違う、ケチャップの酸味が懐かしいナポリタンであった。

プリンが美味しくないわけはない。

あと写真はないが健啖家の母が追加注文したチョコトーストが想定外の美味さであった。バターしみしみのぶ厚めのトーストにチョコレートソースとチョコスプレーがかかってんの。子どもだけで作った土曜日のお昼ご飯みたいなルックスだったけど大変おいしかった。

食事を終えたころに葬儀社の方が車で迎えに来てくださって、いよいよ警察での遺体引き取りである。警察署の裏手に遺体安置所があり、奥に遺体保管のためのカプセルホテル様の冷蔵庫、右手に大きな一幅の観音像がかかり線香が一本上げてある。右手前にはもろもろを置く台、そして真ん中におそらく検視台、その上に確か緑を基調とした錦の布を張った棺が置いてあり、ボディバッグに入った子供の遺体が納められていた。

漸く会えた。

服を持ってきたことを葬儀社の方に伝えると、葬儀社の方が丁寧にボディバッグの上に配置してくれた。靴もおいてやれて、重かったけど持ってきてよかったと思った。Tシャツの上に羽織る白シャツ、出がけに慌てて鞄に突っ込んだものだからしわしわで、ちゃんとアイロンをかけてくればよかったと思ったのは内緒だ。他副葬品を配置する。

ボディバッグ越しに遺体を撫でてもよいかと警察の人に聞いたところ、良いとのことだったので、おでこを撫でてやった。

何を言葉にして思うこともなかった。ただ、しばらくの間、おでこや、腕に当たるであろう部分や、足やらを、ただ、撫でてやった。

それから母が聖歌を歌いたいというので、youtubeを起動し、冒頭に入る溌剌としたコマーシャルと闘いながら聖歌を流した。母は耳が遠く調子はずれになってしまうので母の耳元にずっと当てていた。こんなことを言うのもなんだが、私はよく頑張ったと思う。

流した聖歌、折角なのでここに紹介しておく。


www.youtube.com


www.youtube.com

ところでここで想定外だったのが遺品である。着ていた服は処分してもらったがそれ以外の荷物は引き取って中身を改めたい。二週間雨ざらしでしっとりした肌寒い頃の衣服がリュックにみっちり一個分である。持って帰ると堪えそうなので次の日の朝宅配便で家まで送ることにした。

それから棺を霊柩車に移動し火葬場に向かう。警察の人にお菓子を渡そうとしたがまぁ受け取るわけないよね。葬儀が終わったらお礼状を書こうと思う。ここで最初のメールから付き添ってくださっていた葬儀社の方が別の葬儀に行くとのことで一万円の御礼を渡そうとしたが固辞される。後で菓子だけでも押し付けてやろうと心に誓う。この後は葬儀社の別の方が火葬場までの運転と手続きの手伝いをしてくださった。

火葬場で書類を書いて手続きと支払いをし、火葬の前になんか綺麗なお部屋でお別れをする。火葬場におられたもう一組は大往生の老婦人で、親戚一同皆喪服でお坊さんも来てお経を上げている。手前どもは平服の祖母と母の二人ぎり、写真は母がなぜか棺に入れようと持参し「遺影を副葬しても意味がないのでは」と止めたことで納棺を免れたA5サイズ1枚で額装もしていない(これはこうなると思っていなかった私の手配ミスと言えなくもないが重いから多分額では持ってこなかったろう。これについては母グッジョブである)。ずいぶん寂しいが詮方ない。ここでも聖歌を流したところまぁまぁ格好が付いたのでよしとする。

焼き場に棺を入れ、扉の鍵を預かってから待合室に行く。ここで葬儀社の方にお支払いをしてお別れする。お菓子は荷物になるのでと言い張り警察の分も無理くり押し付けた。もう一組は控室でにぎやかに精進落としをしている。こちらはお昼も食べたところで特にやることがない。暇なので私は従前から計画し母にも通告していた船津胎内樹形に行くことにした。母は私のこういう行動に慣れているから行ってくるよう言われる。こちらも何度慰めても繰り返される母の嘆きとため息を聞くのもつらくなり果てていたところだったので晴れ晴れとカメラを持って外に出た。

火葬場から胎内神社までは歩いて数分である。滴るような緑のうちに時折鳥の声が響く。ふりさけみれば富士の山。こんなに美しいところに来てしまったら、煩雑な人生に戻りたくなくなるのもわからなくはないという気持ちになった。

間の悪いことに近所の小学校が遠足に来ていて胎内になかなか入れなかったのは内緒だ。しかし

楼閣状樹形とか

溶岩石筍とか超絶かっこよかった。今は採っちゃいけないんだろうなこういうの。

胎内。ほんとうは母の胎内に行きたかったのだが中腰でたどり着く自信がなかったので途中で引き返し父の胎内のみのお参りとした。大体あれだぞ、子どもの火葬の隙間だぞ。あんまり遊んでちゃいかんな。

それで絵葉書を買って帰った。

火葬が終わり、骨壺であれば熱いうちに入れられるところ、納骨袋であれば冷ましてから入れなくては袋が燃えかねない。冷めたころに火葬場の方に呼ばれ、なんか多分最初に頭と足の骨を母と一緒に箸でつまみ入れた後は火葬場の方が納骨袋に移して下さった。骨壺だと納まりきらないところ全身連れて帰れて、本当に、嬉しかった。

丁度タクシーが来てくださったのでそのまままずは樹海へ。中に入ることはせず手前で手を合わせ酒を撒く。母は松ぼっくりを拾って帰っていた。それからホテルまで行き、食事の前に店の下見をする。まぁまぁ歩くのでタクシーを提案したが歩くとのことだった。食事はちょっと張り込んでよさげな和食にしたがまぁまぁまぁまぁって感じで。帰りは暗いのでタクシーを呼んでもらった。

ホテルに帰ったら絶え間なく嘆く母を慰め疲れたため閉店した。平素が一人暮らしでそもそも部屋に他人がいることに慣れないところ母は若いころからずっと独り言をつぶやいているタイプなので非常にきつい。自分が参ると旅行が成り立たないので励起しているが母の嘆きで引き戻される。どうしてがんばれっていうんですかとブログに書いたのは精神がテンパりきったこのころに知人に状況を伝えたところ頑張れと言われたことに起因している。ほんっとにテンパってたんですよぉ。そんなわけでもうくたびれ果ててKICK BACKと刃渡り2億センチを大音量でリピートしてイヤホンで聞いていた。母が入浴後私も屋上の温泉に入り、それから休んだ。

翌朝早く目が覚めたので温泉に行き富士山を眺めた。目前が富士急ハイランドなのでやむをえないが、湯につかると目隠しで富士山が見えない。ちょっとつまらなかった。

それから母と二人で朝食を食べた。このころには削れに削れた精神力も回復していた。母もおかわりしていた。食欲があるのはよいことだ。

全部美味しかったが特にバーニャカウダとツナサンドっぽいやつとポトフがめちゃうまであった。

それから一番近いコンビニに行って子どものリュックを発送しようとしたが店員さんが異国の方でやり方がわからず別のコンビニに行く羽目になった。割引にこだわらずホテルから送ればよかったんである。要反省。

それから電車に乗って河口湖駅まで行った。富士山アルフォートがあったので職場用のお土産に衝動買いする。後はハンカチとがま口を。後で写真を載せるかもしれない。

まあ撮りますよね。

それから長距離バスで品川までゆき、母のお昼として駅弁を調達し、電車で帰った。母はバス、私は自転車に乗り、帰りにスーパーで買い物をして、おしまい。