随筆というには遠すぎる、小説というには近すぎる
水曜日の報を得ての富士吉田詣で、木曜日の予定していた美術展消化、金曜日の上の子の役所事務手続き・病院・美容院、私の状態を見かねた友人との食事などで三日間「何かハイ」で動きっぱなしだったところ、土曜になって電池が切れたように動きたくなくなっ…
キリスト教を信じる自由があるのなら、私にも下の子の存在を信じる自由がある。 狂気と呼ばれようが知ったこっちゃない。 私が死ぬ時があの子の存在が終わる時だ。 そのときまではあの子は在るのだ。 普段まぁまぁ合理的に生きてるんだから、一つくらい極上…
生物学を勉強し終わって、さて洗い物をしようと立ち上がったら、こころのうちに、優しい声の、七夕の歌が聞こえてきた。綺麗な若い女性の声で、それは別に幻聴ではなく、ただ、記憶として懐かしく思い出されたという類のものであった。 洗い桶に湯を張って食…
もしも…もしもだ、もしもお前が本当に死んでしまっていたらどうしよう。もしもお前がどこかの宿誰かの家でひっそり過ごしているのではなくて、ほんとうに、死んでしまっていたら。そんな想念は例えば一人の帰り道に不意に空から降りてくる。体の内側が宇宙の…
私は樹海で子どもを喪くした親になるのかも知れないと思った。まだ体は見つかっていない。生きているのか死んでいるのか宙ぶらりんなありさまだ。まるでシュレディンガーの猫だ。そんな不確かな状態があるわけはないとシュレディンガーは揶揄した。しかし量…
そのころ私は、大型貨物車の後輪に巻き込まれた後にわざわざ戻って轢かれにいったような恋に囚われて、毎日気を散らそうと努めては失敗していた。砂時計が落ちきる前にひっくり返すような薄暗い気忙しさに耐えかねた私は、これまでついぞしたことのなかった…
子どもの頃、「あなたがそんな風に思うはずはないのよ」と母に何度も諭された。私がなにがしかの不服を表すると、母は決まってそういうのだった。母は敬虔な、時には過激なほどに従順なキリスト教徒だったので、私が置かれた環境があらゆる面で豊かに恵まれ…
世界の鍵を探している。世界の鍵とは、ドラゴンクエストでいう最後の鍵のようなもので、目の前のものがなぜ今このようにあるのかを解題するのを容易にする考え方のうち極めて汎用性の高いものを指す。 生物については環境淘汰と性淘汰という考え方が非常に有…