即興厨房

大船市場で野菜を大量に買い込んでええ感じのお総菜を一週間分作ってはブログに記録する人です。器は骨董屋でこつこつ集めたぐい飲みやお猪口です。美術展、本、たまの旅行も記事にします。好きな動物はチー付与のどんぐりです。

効果を測る尺度の改善案とその実用化について

水曜日の報を得ての富士吉田詣で、木曜日の予定していた美術展消化、金曜日の上の子の役所事務手続き・病院・美容院、私の状態を見かねた友人との食事などで三日間「何かハイ」で動きっぱなしだったところ、土曜になって電池が切れたように動きたくなくなった。

自分でも困惑するほど呼吸が浅く、しかもそれを改善しようとしてもすぐに浅く薄い呼吸に戻ってしまう。筋肉痛とそこからくる頭痛もある。

集中力もあるとは言えない。暫くは勉強もおぼつかないのだろう。

受験生でなくてよかった。私は仕事さえしていればよいのだから。

とはいえ家事は重要だ。心地よい家をしつらえることは、おそらく精神に効く。

そんなわけで私は従前の如く洗濯をし買い出しに行き今日は総菜づくりをしている。昼食を食べひと眠りしたら掃除をして居心地の良い部屋を手に入れよう。

 

金曜日の心療内科で事の次第を医師に共有し、仕事の日に本来起きるべき時間の二時間前に目が覚めてしまい困っていることを相談すると、入眠剤の他熟睡できる薬を一時的に処方してもらうことになった。他、心理的にあかん感じになりそうになりそうなときの予防頓服としてデパスを服用していることを伝えると、半量を二倍の数出してくれて、それで調整してはどうかと助言された。

「今悲しんでおきなさい。今ならいくら悲しんで泣いても誰も咎めない。三年後に悲しんでいると、いつまで悲しんでいるんだと言ってくる人もいるから」

「なんでも完璧にやろうとしなくていいですよ」

これが医師にいただいた言葉である。三年後に悲しんでいてもそれはしょうがない話だと思うが、今泣けていないというのは確かにいささか問題のようにも思われる。しかし悲しもうと思って悲しめるものでもない。たぶん、そのうち。

 

金曜の夕方、いろいろ頼っている酒場のマスターにお会いした。子どもの行為の原因について腑に落ちない点を話したところ共感してくれた。子どもの名誉のために明かさないが、どうしてもそれによって死を選ぶ理由が私にはわからなかった。マスターも言葉を選びながら共感してくれた。それでようやく腑に落ちた。わからない、ということが腑に落ちたのだ。

誰の行為であっても、多くの場合その原因は傍からはわからないものだろう。しかしそれにしても、非合理に過ぎると思われたのだ。

それで私はようやく笑った。わからなくてよいのだということを理解して笑った。私の母は始終下の子に同情的で、とても疑義など唱えられる状態ではなかった。だから、ほんとうに、楽になった。共有することによる救いは、共感のみでなく、それにより示される疑義によってももたらされるのだ。

そうなったとて事後は続く。私は例えばふと買い物の帰り、その歩みの目前に突然クレバスが現れたような、または心のうちに突然クレバスが穿たれたような、そういう心情になる。振り返るのがおそろしい。子どもがいなくなったということが、理屈では理解できていても、理屈とは異なるレベルの厳然たる事実として立ち現れるのが恐ろしい。否応なしに向き合わざるを得なくなりそうで、私はまるでホラー映画の異音に対するように振り返らずにいる。私は私の心に諮る。大丈夫か、大丈夫かね。少し心の薬に頼ってもいいんじゃないかね。いや、まだ大丈夫そうだ。まだ私は歩ける。

今のところ家事に支障はない。目の前に解くべき問題を出されると最短で最適解を導き出そうとする行動様式は長く養ったおかげでほとんど反射のようになっているから、多分仕事にも支障はない。明日仕事にも行けるだろう。チーム制でなく、皮相的な人間関係をやり過ごしていれば一人でこなしていける専門職であったことは幸いである。ただ新しいことに集中するのは難しいので、読書や勉強はいったんお預けだ。通勤の合間の精神は見るのを先延ばしにしていた映画で埋めて、夜はとっとと寝よう。

ほぼ通信断絶していた元旦那そしてその実家、家族、また子どもの親しかった人などについて、どのように接するのが正解なのか。うまくやれるのか。大方の人は慰めていたわってくれるだろう。だがそのうちいくらかの人からはそしられるだろう。私はこの件について母に助言をもらうだろう。そしてこれをいい機会として、避けて通れない人々とのかかわりをもう一度見直し、そこそこ向き合うこととしよう。私の目標である最短時間での最大の効果。これについてはどの関係性においても適用されるべきだ。これまでうまくいかなかったこともあるが、その原因は、最大の効果を測る尺度に自分含め人の心情を組み入れていなかったことにあるだろう。この最も感傷的なる事案を前に、私も他の心情を組み入れる尺度を実用化しようと思う。