即興厨房

大船市場で野菜を大量に買い込んでええ感じのお総菜を一週間分作ってはブログに記録する人です。器は骨董屋でこつこつ集めたぐい飲みやお猪口です。美術展、本、たまの旅行も記事にします。好きな動物はチー付与のどんぐりです。

そこいらへんにめちゃめちゃよくある狂気の話

キリスト教を信じる自由があるのなら、私にも下の子の存在を信じる自由がある。

狂気と呼ばれようが知ったこっちゃない。

私が死ぬ時があの子の存在が終わる時だ。

そのときまではあの子は在るのだ。

普段まぁまぁ合理的に生きてるんだから、一つくらい極上の狂気をひっそり孕んでたってかまわんだろう。

だからあの子は今も在るのだ。

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一昨日の夕方、仕事帰りの電車の中で、富士吉田警察署から電話があった。

「らしき」が見つかったという。

見つけてくれたのは山菜取りの老婦人らしい。

正確なやり取りは思い出せない。DNA鑑定をしないと最終的な判断はできないが、持ち物から類推されたというようなことを言われたと思う。電車の中なので泣けなかった。担当の方の名前を驚くほど覚えられなくて何度も聞き返した。

母親に電話で伝えた。

帰ってからもう一度署に電話して、側近くに行くことは可能かを尋ねた。上司に確認するとのことだった。ただ、約3週間経っているので、見るのはやめた方がいいと丹念に止められた。

「ご親族の方には、綺麗な顔の印象で覚えておいていただいた方が良いと思いますので」

そんなようなことを言われた。警察の人がそういうんなら屹度そうだろうと思った。

その後、見るかどうかはともかくとして、署で発見状況などを説明してくださることになった。行方不明になったことを伝えていた職場の上司に電話、状況を説明し、明日休むこと、忌引きがどの程度とれるかを確認してほしい旨を伝えた。

GoogleMapで署へのアクセス方法を検索し、序に近辺に地場産の食事処とお土産があるかも検索した。署の近くに吉田うどん屋があったのでお昼はそこでいただくことにした。あとは少し離れたところによさそうな和菓子屋があったので寄ることにした。

 

翌日電車を乗り継ぎ署の最寄り駅にたどり着いた。富士山が晴れ晴れとよく見えた。春の花が、野生種、園芸種を問わず、道端に、手入れされた庭先に、花園のように咲いていた。

腹が減ったのでまずうどん屋に寄りてんぷら肉うどんを頂いた。それから歩いて署に行った。名乗ると若い警察の方が会議室のようなところに案内して下さり、現場や持ち物の写真をプリントアウトしたものを見せてくださった。模倣する方が出るとよくないので詳しい状況は書かない。足元にはたばこの吸い殻と缶ビールと白ワイン、それから向精神薬のPTP包装シートが落ちていたとのことだった。首にかけていたポーチに免許証とクレジットカードが入っていたので身元を特定できたという。そういうものを身に着けてくれていてよかった。もしそうでなければわからずじまいだったかもしれない。スマートフォンは足元に落ちていて、ロックがかかっているので警察では内容を確認していないとのことだった。リュックも近くにあったそうだ。

私は、その形式での自死は苦しいものかを聞いた。苦しい時間は短いだろうとのことだった。

現場を見に行きたいと思い、私は特徴的な木の並びがわかる程度に現場写真を手帳に模写した。どころか私は現場の緯度経度まで尋ねた。担当の方は私の心を尊重して、緯度経度と、タクシーで10分程度という現場への行き方を丹念に教えてくれた。現場は人の生活圏からそれほど離れていなかった。だから早く見つかったのだ。山深くの探しづらいところで逝かないでくれてよかったと思った。

それから鑑識の方が頬の内側の細胞を採取するキットを持ってきてくださった。つつがなく採取し、封筒の裏に名前を書き、拇印を名前の横と封に押した。

今後のことを聞いた。

まずDNA鑑定が長くて一週間かかるとのことだった。その後特定出来たら医師に検案書を出してもらい私に引き渡す。書類があれば役所に死亡届を出せる。死亡届があれば火葬が可能となるとのことだった。

(火葬?どこで?)

霊柩車で連れて帰るか、こちらで火葬してお骨を連れて帰るか、どちらもありとのことだった。警察が見るのを止めるような状態を連れて帰るのはどうも無理があると思われたので、火葬だけしてくれるような都合の良い業者があるのかを問うたところ、あるという。土地柄だろうか。業者の連絡先は後日電話で知らせてくれることになった。

話が終わり、礼を言って部屋を辞した後、地域のタクシー会社に上から順に電話を掛けた。しかしどこも車が出払っていたので諦めて和菓子屋にいくことにした。途中で卵屋さんを見かけたので珍しいと思い立ち寄った。双子玉子20個パックがこのご時世に640円で売っていた。10個にしてもらえないかと交渉したができないという。潔く20個で買った。翌日目玉焼きにしたら黄身が大変濃厚で美味しかった。

それから和菓子屋に行って和三盆のアイス最中と焼きたてのみたらし団子を頂いた。アイス最中は甘さが上品で美味しい。みたらし団子はタレにこくがあってこれまた美味しかった。父母への土産がてら藤の花やあやめを象った練り切り、わらび餅、粽などを買った。

それから小室浅間神社で馬を見た。白くて美人な元キングズオブザサン現旺輝、ラオウがのってそうなりっぱなばん馬オーロがいた。オーロは柵のこちら側に顔を出してしきりに口をぱふぱふやっていたので餌が欲しいのかと思ったが餌をやる気にはならなかった。陶製の御籤が好きなので富士山の御籤を引いた。

それでようやく帰路についた。

帰ってからは肉を塩だれで焼き、作り置きのほうれん草とエリンギのお浸しと新玉ねぎとキャベツと榎茸の味噌汁、冷凍の白ご飯を温めて頂いた。別に献立を開陳したいわけでない。ただのきちんとご飯食べてますよアピールである。

樹海の先達に探しに行く必要がなくなったことを連絡した。こういう状況でも何かできることがあるということ、一人で行っても何もできなかったろうけれどもその方のような先達に案内いただくことで効果の見込める探索が行えること、自分のことが解決しなくても他の方の役に立てるかもしれないと思えたことが、本当に心の支えになっていたということを併せて送った。

母が家に来たので事の次第を伝えた。それからとりとめもないことを話した。店のオーナーさんは、あの子が帰ってきたら一番仲のいい店のスタッフ(男性)とそれぞれの彼女と4人で一緒に暮らしてはどうかと提案するつもりだと言ってくれていた。そういう職場で働けたのはあの子の幸いだったということを話したりした。

それからいつも通りの量の入眠剤や抗アレルギー薬などを服用して寝た。

 

今日は従前の予定通りに藝大のお買い上げ展の後王城に行ってミートソーススパゲティを食べ、東京都写真美術館土門拳の古寺巡礼、世の中をよくする不快のデザイン展を梯子した。

美術展の会期は有限であり、多分見そびれたら後悔するからだ。

いや、ほんとうのことをいうと、見そびれたところでそれほど後悔しないかもしれなかった。ただ、情報を詰め込むなりして精神を忙殺状態に置いておかないと、あかん感じになるかもしれず、それを私は恐れていた。

なお、今こうやって文章を書いているのは、何かやっていないと妖怪「あかん感じ」に急襲されそうというのもあるが、報を受けてブログを読み返したときに、当初から記録をとっておいよかったと思ったためである。このことがどのように始まりどのような顛末を迎えようとしているのか、また私がそれぞれについてどのように考えていたかをのこすことは、私にとって、そしていつかの誰かにとって、確かに意味があると思ったのだ。

 

ところで狂気の件だが。

とりあえず私は今この瞬間からあの子の現状を全力で否認することにした。これはできれば一生続けたいと思っている。上に書いたように私は外観上まぁまぁ冷静におそらくそこそこ正解なふるまいを続けている。何しろまだ私はきちんと泣いてすらいないのだもの。とにかく私は現実を否認することに決めたのだ。この選択によって先々正気が決壊するおそれが生じることは当然承知している。それはDNAの鑑定結果を知らされたときか、あの子の死亡届を役所に出したときか、あの子の遺品を受け取ったときか、あの子を火葬したときか、あの子のお骨を拾ったときか、あの子の骨壺を抱えて電車で帰るそのみちみちか、あの子の密やかな葬式で参列者に礼を返したときか、それともあの子の部屋のものを片付けるときか、十年後か、二十年後か、三十年後か、私が病か事故で倒れたときか、私がとうとう死に口づけされたときか、そんなのはいつだかわからないし知ったこっちゃない。あの子は在る。「あいつは今も皆の心の中に生きているんだ」レベルの話ととらえてくれても構わない。そのレベルなのかどうかもどうでもいい。確かなのは、クリスチャンがイエス・キリストを、YHWHを、天国を、地獄を信じるのと全く同じように、私はあの子が在ることを知り続けるだろうということくらいだ。

というわけで私は自ら進んで現実から心を背ける非合理の徒になった。悪しからず。これからも私は世界の理を探して旅を続けるけれど、一つだけ、全く以て理に合わない極上且つ純然たる狂気を、大事に大事に抱えて歩いていくことにするよ。