即興厨房

大船市場で野菜を大量に買い込んでええ感じのお総菜を一週間分作ってはブログに記録する人です。器は骨董屋でこつこつ集めたぐい飲みやお猪口です。美術展、本、たまの旅行も記事にします。好きな動物はチー付与のどんぐりです。

子どもはおうちに帰りましょう

今日、たった今、どうしてか私は、自分自身がこの瞬間に、富士山にある、暗く黒く狭く濡れた船津胎内樹形の中にいるような気持ちになった。あの時、子どもを荼毘に付しているさなかに、私は火葬場を抜け出して富士山を背に森を縫うように切り開かれた坂道をおりた。鳥居をくぐった先に洞窟の入り口があった。肋骨のような垂乳根のような不可思議な印象に冷えた溶岩を抜けて私は母の胎内の先を目指したけれども中腰がなかなかにつらく先が存外遠くて諦めて引き返したのだった。あの時のどうとでもなるが地味にきついという淡々とした閉塞感が心に立ち上がり、全く以て非科学的で非論理的で非合理なことだが、子どもがあのときの私のようにどこか暗く狭いところでうっすらと閉塞して困っているように思われて仕方なくなった。それで私は、それが、その白く軽いものがただの物質であることをよく知りながら、葬儀のために骨壺に小分けした子どもの骨を納骨袋に戻して部屋に連れてくることにした。久しぶりに見た子どもの骨は、ところどころ黒いすすが付いて、或いは肉または脂肪が焼き付いたような黄土色して、全体は胡粉のようにつやのない真っ白で、とても軽く、古い竹のように乾いた質感をしていた。骨壺をひっくり返しても全く落ちてこない。そうだった、私は葬儀の前日、この骨はどこの骨だろうと検分しながら大事に大事に一つ一つ移したんだった。これはあの子の脊椎。これはたぶん腕の関節。これはたぶん頭骨の一部。そういえば私は火葬場であの子の指の骨をきちんと確認したろうか。見ていただろうに案外覚えていないものなのだな。子どもの写真を視野の端でとらえながら私は納骨袋に子どもの骨を戻していった。そうして納骨袋をステンレスのパットに載せ、自分の部屋の机に連れてきた。どうしてこんなことをするのか、こうしたからといってどうなるのか自分でも全くよくわからないが、もしお前が迷子になっていたら困るからね。