即興厨房

大船市場で野菜を大量に買い込んでええ感じのお総菜を一週間分作ってはブログに記録する人です。器は骨董屋でこつこつ集めたぐい飲みやお猪口です。美術展、本、たまの旅行も記事にします。好きな動物はチー付与のどんぐりです。

お母さんを助けて欲しいと願ってももはやお前はいないのだから

私はたぶん従前とおなじ暮らしをしています。日常を厳密に様式化していたおかげでその様式に則るだけで健康的な生活を営むことができます。起床時間、朝食、筋トレ、英語のニュースの粗読み、通勤、仕事、弁当、健康に配慮したおやつ、帰宅、夕食、つらつらネット。夜の勉強はもしかしたらかこつけてさぼっているのかもしれないし本当に集中できないのかもしれません。土日は洗濯、買い出し、料理、掃除、このことを明かした少数の人との会食、このブログを見た人からの心遣い。

私は内心で何が起こっているかを余りふるまいに出しません。そもそも出し方がわからないのかもしれませんし、出しても仕方ないと思っているのかもしれません。いなくなってしまったものはいなくなってしまったのです。起こってしまったことは起こってしまったのです。私は日常を丹念に、平常に過ごすことで、せめて私の周りの人から心配を取り除きたいと思っているのかもしれません。ありがとう、私は余り言葉を返さないけれども、それは多く話すことであなたを心配させすぎてしまうのではないかと危惧しているからなのです。あなたの心は確かに私に届いています。一度このブログを見てしまった人はたぶんずっと私を気にかけて呉れているでしょう。私はそれを知っています。あなたがどう言葉をかけていいのかわからないのも知っています。私がこれまでとほとんど同じ様式の生活を送り、好きな漫画を読み、多分いつもより多く話し笑うのは、たぶん私が脳科学などに少しだけ詳しいおかげでやり過ごすことに巧みになっているためもあるでしょうが、恩着せがましくて申し訳ないのですが、知ってしまった人に過分な心配をさせないためもあるのです。めちゃめちゃちゃんと食べてます。めちゃめちゃちゃんと寝ています。新しく明るいレンズを買って、それがとてもいい感じだったりもするのです。

 

でも、相反で申し訳ないのですが、どうか私があなたに心配をさせないためにそのように装っているのだとは思わないでください。そうではないのです。論語に心の欲する所に従て矩を踰えずという言葉がございますでしょう。私はあれを、矩を内在化しておれば己が求めるところが自然と矩に沿うものだというふうに感得しております。私の朗らかはつまりそれです。私は実のところ自分自身に負荷をかけてはいないのです。私はその時確かに楽しいのです。だから私が朗らかなときは、私が自ずと朗らかであり、それが結果としてもしかしたらあなたの心配を少しだけ減らしているかもしれない。その程度の話なのです。

 

本当を言いましょう。私はこういう時どんな顔をすればいいのかは知っていますがそういう顔をうまくつくれないのです。だから明かすことで人から労わられるのが恐ろしいのです。特に共感力や同情力の強い女性に潤んだ目ですべらかに心配されることが非常に恐ろしい。なぜか。私はたぶん期待される表情ふるまいを返せないからです。「そうなんです」といったぎり言葉を失い滂沱と涙を流して人の胸にすがるというような行動様式を持ち合わせていない。もし後からあの頃私がこうであったということを知られたら、その人から私は随分事務的で、効率重視で、悲しんでいる様子の一つもなかったと訝しがられるかもしれない。抒情的な性質の人からは、私は異常にすら思われてしまうかもしれない。そうしてそれがもしかしたらその通りかもしれないから、それも、おそろしい。

 

昨日は急遽帰国した元夫が部屋の片づけを手伝ってくれました。あの子が使っていた家具をいくつか解体し廃品回収の場所まで持って行ってくれました。あの子の荷物を改め、廃棄するもの、売りに出すもの、形見とするものを淡々と仕分けながら、あの子の話やあの子とは全く関係のない今面白いと思っている漫画の話などをしました。上の息子に会うというので、色々話を聞いてやってほしいと頼みました。下の子の職場の人に葬儀に来てもらうのかと問われ、夜の仕事ではあるけれども子どもの最期の居場所であったし、今回の件ではほんとうに心と手を尽くしてくれたので、私としては参加してほしいし父母も良いと言っている、こういう事情なので基本家族葬として他には知らせないがただあの子が最期に親しかった人にはぜひとも来てほしいと思っていると言いました。私はたぶんいつもと同じように適切な言葉で私の考えうる最適解を伝え、元夫も一応了承していました。私はあの子の最期の居場所であった職場を尊重したい。誰に反対されても、私はあの子の最期の居場所であの子と一緒にいてくれた人を尊重したい。

 

彼女さんも来てくれるといいんですが。来てくれますかね。喧嘩別れしてそのあとにあんなように亡くなったなんて、私よりもつらいんではないかと思います。そんな思いをさせてごめんなさい。あなたにそんな重たいものを負わせてしまってごめんなさい。

 

これだけ色々なものを片付けたあと、不意にあの子が帰って来て、なんで僕のもの勝手に処分したの?なんて言ってきたら、それはとても素敵なことなんですけどね。

 

私と子どもの服のサイズはほとんど同じなので、一昨日あの子の服を着て友達と会いました。今日もあの子の服を着てお世話になっている酒場のマスターと美味しい魚を出してくれる立ち飲みと美味しい沖縄料理を出してくれる立ち飲みに参りました。気の置けない相手とのお楽しみの際はできるだけあの子の服を着ていこうと思います。一張羅みたいになったって構やしません。今度子どもの職場の人たちにお話を伺いに行くときも着ていこうと思います。

 

今日の夕暮れはなかなかの美しさでした。

ビールまたはハイボールを呼ぶバッファローチキン。お茶ですが何か。

一番右手はマグロの顎肉。歯ごたえが獣の肉に近くて大変よろしい。