即興厨房

大船市場で野菜を大量に買い込んでええ感じのお総菜を一週間分作ってはブログに記録する人です。器は骨董屋でこつこつ集めたぐい飲みやお猪口です。美術展、本、たまの旅行も記事にします。好きな動物はチー付与のどんぐりです。

2020年2月9日に仕込んだお惣菜

[味噌汁]

白菜、榎茸、油揚げ、サツマイモの酒粕入り味噌汁

 

[副菜]

法蓮草お浸し

ブロッコリー蒸したん すし酢と麺つゆ和え 

牛蒡と椎茸と蒟蒻と人参の限りなく煮ものに近い金平すりごま和え

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[遅番用の煮物]

牛すね肉とエリンギ、ブナシメジ、マッシュルームのゴールデンカレー甘口2:中辛1

 

[子供飯急展開]

二週間の兵糧攻めを経て少しは従順になっていることを期待した私は話し合いを持ちかけた。こちらとしては子どもの栄養状態も心配なので予定通り喫食してくれれば従前どおりの食事の提供を再開する心づもりであった。しかしことは急展開した。話し合いの場でまず子どもは自身の預金通帳の行方について殺さんばかりの勢いで攻めてきたのである。ご飯の予定や生活習慣について丁寧に話し合うつもりであった私にとっては青天の霹靂であった。お前に言われて作った、通帳はお前にあずけっぱなしである、おばあちゃんが50万円入れてくれたという通帳はどうなっているのだ、と攻め立てられて今にも私は殺されそうだ。子どもの通帳は確かに私が所有しているがそれは私が子供に作成を命じたものではない。母に渡され、私と下の子で作った下の子の通帳だけど学費の入金先にするからあなたから払ってという名目で預かっているものである。一度母による子供の授業料の入金が間に合わなくなり私が立て替えることになった、その立て替えた分の入金先としてさんざ言ったにもかかわらず母は私の口座ではなく自身の中の決まりに基づき子ども名義の口座に入れた、そしてその後母が暗証番号を失念したために結局引き出すこと能わずそのままとなっているという不遇な顛末をよぎなくされている口座である。このような複雑な経緯を突沸的に激昂している子どもに語って理の通るものか。通るわけはないであろう。黙秘を続けていると子どもはヒートアップして殴るのなんのといってくる。危機を覚えた私は夜分なれど近所に住む母を呼んだ。なぜなら口座の顛末について説明しうる立場にあるのは母しかいないからだ。そして母を動員しない限りこの状況は収まらないからだ。子どもは母に愛想がいい。なぜなら金をよくくれるからだ。母が来て、子供と一緒に口座を作りに行ったのはやはり母であったことが判明した。この誤謬についての子どもからの私への謝罪はなかった。立替分を入金したかの記憶はないが記帳すればわかるであろうというと子どもはあっさりとそれで納得した。私は相当子どもからは信頼されていない。されていないにせよあのように人の話を聞かない上に立て続けに学歴から勤務先、病気を原因とした入院についてまで侮辱されるのは不本意である。子どもは自分が知っている視野の狭い不確かな証左のまま人を罵り続けた。そして母が来れば簡単に前言を撤回し事実を認めたが私に対する謝罪の要は覚えないようだった。そして私は不確かなまま言葉を発するのを拒んだというたったそれだけの理由で悪のままなのであった。私は何を言っても聞く耳を持たず罵倒を続け最後には暴力をほのめかす子どもに柔らかく絶望した。しかし最終的に子どもは父親に借金をして一人暮らしを始めることとなった。国試に受かるためにはそれが必要なのだそうだ。家にいると私の漫画がたくさんあって勉強がはかどらないのだそうだ。専門学校は手厚いので落ちるなんてのはよほど怠惰なんじゃないかと私などは勘ぐってしまうし漫画があるから勉強できないなどとは20歳の成人が堂々という話でもない。またもちろん余計なお金は使うべきではないと思っている。しかし父母は試験受かる詐欺に惑わされて長い間自分らの息子をただ養ってきた経緯がある。彼らにとっては、相手の理屈がおかしくとも、何の実績が得られておらずとも、金を積んでなんとかなりそうなことに対して金を積むことは特に問題ではないのだ。私にとって、勉強は誰かが邪魔するからできないものではなく已むに已まれぬ自分の衝動からするものである。私はそんなように生きているので子どもや弟、また父母の処遇については全く納得できない。またそこまでしなくては受からなかった人間の専門家としての資質にも疑義を覚える。だが世界…少なくとも私を取り巻く家族コミュニティにおいては理屈はそのように回っているのだ。

今はただ、殴られたり脅されたりすることに恐怖を覚えることがなくならず、作った食事を無にされることが無くなることを喜ぼう。

一人暮らしまでの間、子どもが要望するので味噌汁だけは私が作り、あとは私が買ってきた材料で彼が彼のための食べ物を調整することになった。なんであれ、子どもの独立を喜ばぬ親はいない。お互い台所をきれいに使うことを決め、彼の独立まで、せめてうまいみそ汁を作ってやることにしようと思う。

 

相変わらず子どもは不機嫌である。一人暮らしが始まれば物理的に不機嫌は遠ざかる。私は待つしかないのだろう。