即興厨房

大船市場で野菜を大量に買い込んでええ感じのお総菜を一週間分作ってはブログに記録する人です。器は骨董屋でこつこつ集めたぐい飲みやお猪口です。美術展、本、たまの旅行も記事にします。好きな動物はチー付与のどんぐりです。

恐ろしい話

何か恐ろしいことが起こったのだと思った。そろそろ3か月経って私はだいぶ平気になったと思っていたのに全くそうではないことがわかった。急に…なんと今日の夜の12時頃に急に…書くのも恐ろしいことだが…生きていた子どものすがたと白い軽い硬いものが重なった。それはまるで顕微鏡を覗いてあれこれ試しているうちに突然ピントが合って視野が鮮明になるような調子だった。そう、恐ろしいことが起こったのだ。何か恐ろしいことが。口に出せない夜のようなことが。覗いてはならない闇のようなことが。どうにもならない、取り返しのつかない、もう二度と帰らない、空を掴むようなことが。このところ朝ひどくだるく、眠っても眠っても疲労が拭い難く降り積もるように覚えていた。もう若くはないからな、と思っていた。その一方で、上手に言葉で遠くに押しやったつもりの何かに体の方が先に気づいて音を上げ始めているのではないかとも薄く思っていた。気づかないふりをしていたのだ。気づいてしまったら何もかもご破算になるような気がして。もう覆らない、誰のせいにもできない、ただただ恐ろしいことは、ずっとそこにあって、私を取り囲んでいた。私はこのことを人に話さないようにしていた。子どもが最後の仕事を人に知られたくないようだったから、などという尤もらしい言い訳を作って。ほんとうは、子どもの死について誰かに話すたびに、蓮の花片がこぼれるように、一枚一枚、それを覆っていたものがはがれて露わになってしまう、そのことを恐れていたのではないか。今日私は知人に間違って電話をかけてしまい、元気かと聞かれて、元気かどうかよくわかりません、という枕詞に続けてつい子どものことを話してしまった。もしかしたらそれが最後の一枚だったのではないか。

どんなに追いやってもかぶさってくる思考のことを、侵入的思考というそうだ。

私は冷静をつとめようとしていた。それは誰かの目を気にしてのことではなく、ただ、私が生きなくてはならないからであった。日々食べ眠り仕事に行き続けなくてはならないからであった。私は上手に逸らそうと努めた。三か月。三か月、私は喪失を飼い慣らしたように思っていた。

全くそうではない。

そうではなかった。

そうでありたかったのに。うまくやりたかったのに。大丈夫でありたかったのに。あの子の骨を朝に夕に撫でられるほどに私は平気になったと思っていたのに。でもほんとうは、そんなことはなかったのだ。私がそれが物質であると知っておりながら、どうしてか、たった一日ですら分骨を忌避したがっている、そんな、全く以て理不尽で非科学的で不合理な執着を切り離せないこと自体が既にそれなのだ。

あれが、あれは、私の子どもの、私の生んだ子どもの、骨なのだ。

 

なんという恐ろしいことが起こったのだろうか。遠ざけたつもりなのに、恐ろしいことは別の形別の角度から何度でも被さってくるのだろう。行方不明届を出した後しばらく続いた鈍い槍で胸を刺されるような痛みではない、ただ逃がしえない動悸と沈むような狼狽が鉛のように沈んでくる。泣きたいようだが泣くのをこらえたいようでもあり泣きはしないようでもある。今度はこれか。私はこれと闘うのか。あるいはしばらく一緒に過ごすのか。

朝ひどく起きづらいのも、逆に夜寝付けないのも、富士吉田から疲れが取れないのも、むやみな溌剌が嘘だと知っていたからか、私の体よ。

そうはいっても。

(月曜仕事に行けるだろうか)