仕事中に知らない番号から電話があった。出たら子どもの友達だった。その子はうちの子どもと小学校中学校高校が一緒で、同窓会に呼ぼうとしたが連絡がつかないため私の番号を調べてかけてきてくれたのだという。専門学校を出た後子どもがどういうところに勤めていたか知っているかを聞いたところ、専門学校も一緒だったのでなんとなく知っているとのことだった。
この子には言っていいだろう。
私は、3月末に子どもが樹海で死ぬと言って彼女と同棲していた家を出たこと、店のオーナーさんが出勤しない子どもを心配して警察に相談して私に連絡がきたこと、行方不明届を出して2週間で遺体が見つかったこと、DNA鑑定のあと葬儀をしたことを伝えた。事情が事情だったので葬儀はほぼ家族だけで行ったこと、直近の交友関係がわからなかったので連絡しなかったことをわびた。
子どもの友達は電話口の向こうで泣いているようだった。子どものために泣いてくれてありがとう、と私は伝えた。
手を合わせに行ってもいいですか、と言われたので、お骨はまだ家にあるのでぜひ会いに来てください、と答えた。住所を聞かれたので線路沿いにあるマンションだというと、何回か遊びに行ったことがあるからわかります、と言われた。
電話を切った後私は涙ぐんでいた。しかしなぜ自分がなぜ涙ぐんでいるのかわからなかった。私は自分がもらい泣きをするような類の人間ではないことを知っていた。また私はもう子どもが生きていないということに大分慣れていた。といって私にとって子どもがいなくなったというわけでもなかった。物質面でいうと子どものお骨はそこにあるし、動かなくなった体を見なかったためか、子どもは漠然と、そこここに存在してるような心持ちであるからだ。だから子どもが亡くなったことによる鮮度の高い悲しみは私のうちにもはや存在しないし当面生起することもないだろう。
ではこの悲しみは何だろう。私は子どもと同じ年の友達に突然よくない事実を伝えてしまった罪悪感を悲しみと誤認しているのだろうか。心を改めたがそれでもないように思われた。今言わずに後から知れたら、どうしてあのとき本当を話してくれなかったろうと思うだろう。私はたぶん適切で誠実なふるまいをしたのだ。
ではこのぼんやりとした悲しみはなんだろうか。
私はきっと、子どもの友達が、私が4か月前に丁度そうであったような膨大な喪失に襲われるだろうことが悲しいのだ。きっと大分仲が良かったのだ。もしかしたら私もわちゃわちゃした子どもの群れのうちに会ったことがあるかもしれない。そんなに親しかった子どもの友達が、私が味わったと同じ世界の欠落としばらくの間向きあい何くれと心を砕かれるような思いをするだろうことが悲しかったのだ。私は子どもの友達の悲しみがつらい。どうしたって逃がしようがないだろう悲しみを思うとつらい。
電話をくれてありがとう。
来てくれたら、私が知らない子どもの話を聞こう。そうして、もしよかったら、服を形見分けで持って行ってもらおう。
来てくれたお礼に、子どもが好きだったお菓子をあげよう。
電話をくれて、ありがとう。