即興厨房

大船市場で野菜を大量に買い込んでええ感じのお総菜を一週間分作ってはブログに記録する人です。器は骨董屋でこつこつ集めたぐい飲みやお猪口です。美術展、本、たまの旅行も記事にします。好きな動物はチー付与のどんぐりです。

アレクサ、うちの子どもを連れて来て。

もしも…もしもだ、もしもお前が本当に死んでしまっていたらどうしよう。もしもお前がどこかの宿誰かの家でひっそり過ごしているのではなくて、ほんとうに、死んでしまっていたら。そんな想念は例えば一人の帰り道に不意に空から降りてくる。体の内側が宇宙の果てにつながったように皮一枚で虚ろになる。よくわからない薄昏い穴のようなものが私の斜め後ろにほかりと現れる。さてでは私は一体子どもがどのようなタイミングどのような形で亡くなったら満足なのだ?満足という言い方はよろしくないな。どのような形で亡くなったら納得するのだ?事故に戦争天災病。おそらく当人の本意ではない死が世間にはたくさん落ちている。では当人の本意の死というのはどうなのか。そういうのはどうなんだい?ええ、あんた、お母さんよ。74億のうちの一つの死。日常的な細胞の死。生命の始まりを38億年前と仮定して振り返れば恐ろしく膨大な死が私という個体以前に存在する。私の子どもの生死不明は、それらの膨大に引き比べて殊更に重かったり軽かったり大きかったり小さかったりするものなのだろうか。

大分わからなくなって参りましたな。そうやって言葉を手遊んで心を逃がしているのだろうって?そうかもしれませんしそうではないかもしれない。ちょっと油断するとひどい寂寥に襲われるのです。あんまりその寂寥の程度がひどいものだから、いっそ記録しておいたらいつかの誰かの役に立つんじゃないかと思ってこういう当所ない文章を書いているのです。私はさなかの人間です。私は今こう思っています。いつかの誰か、そうあなたです、あなた、今のあなたと同じような心をここに置いておきますので、よろしければご参考まで。

 

あの子がいなくなる・またはいなくなったかもしれないということが恐ろしいのだろうか。でも今だって、今までだって、私はあの子とそれほど多くは繋がっていなかった。あの子はあの子で暮らしていれば連絡なぞなくてもいいと思っていた。一度なかなかの用事があってラインしたのに返信がなかったのであの子の勤め先の掲示板に書き込んだらえらく𠮟られた。お前がきちんと返信すればそんなことせんですむわいと叱り返した。

その状態と今は一体何が違うのか。あの子の現況から心を背けて連絡がつきづらかった過去と今とを下手くそにセロハンテープで継ぎ合わせればいいんではないか。

それでいいんではないか。

 

そうは烏賊の金玉蛸がひっぱりゃふぐりも伸びらぁ。

 

アレクサ、うちの子どもを連れて来て。