即興厨房

大船市場で野菜を大量に買い込んでええ感じのお総菜を一週間分作ってはブログに記録する人です。器は骨董屋でこつこつ集めたぐい飲みやお猪口です。美術展、本、たまの旅行も記事にします。好きな動物はチー付与のどんぐりです。

まずいかもしれないのであった。

今日子どもの職場の人に集まってもらって、元夫と一緒に職場での子どもの様子を聞いた。

夜の仕事だったので、子どもは職場近くに暮らしていて、家にはほとんど帰ってこず、ラインでやり取りする程度だったためだ。

聞いたところでは、けして待遇は悪くなく、正社員として採用する話も出ており、また資格を生かした兼業の話もあったようだ。

いよいよなぜ彼が自死を選んだのかがわからなくなってきた。

元夫も、職場の人も、たぶん本人以外は誰も腑に落ちていないと思う。

 

以前資格で勤めていた職場は相当ブラックだったようで、本人からもつらいという言葉を聞いていた。

ブラックな職場をやめ、彼は確かに楽しそうに仕事をしていたのだ。

ブラックな仕事に押し潰されて人生を楽しめないまま自死を選ぶよりは、夜の仕事であっても楽しい現職につけたことは、彼にとって本当に良いことだったと思っている。

正直言うと、元職場の人に話を聞きに行ったのは、客との関係含む職場が自死の原因でなかったことを確認するためでもあった。少なくとも私は、連絡を受けた当初と同様に、彼がとても大事にされていたという印象を受けた。夫も、良い仲間に恵まれていたことを確認できてよかったと言っていた。ほんとうに、子どもの最後の職場が、最後の居場所が、子どもにとって楽しいところでよかった。

理由なんて、多分自死を選んだ本人にしかわからないということも、想定していた。

 

のだが。

まずい。

非常にまずい。

なにがまずいかというと、あの子が自死するまでの生活が見えてしまったのがまずい。

これまではあの子の自死の前の生活の輪郭がぼんやりとしていた。

だからなんとなく、連絡はとりづらいけど、どこかで暮らしているかのように自分をごまかすことができた。

 

彼の生活の輪郭が明瞭になれば、彼の欠落の輪郭も明瞭になる。なってしまう。

 

大丈夫かね、私。

 

というわけで、私は私を大丈夫にするために、こうして文章にして情動の外部化を試みている。

さて私はいつまであの子の不在を拒絶し続けることができるかな?