蝦夷錦という椿がどうにも好きである。
この美しい椿は鎌倉のおんめさまこと大巧寺さんで見ることができる。
おんめさまは下の子が生まれるときに安産帯を頂いたお寺さんなので、鎌倉に寄った時はお礼を言うために必ず参詣している。
こちらははごろも。
こちらは喜連川。
段葛にはまだ桜が残っていた。
久しぶりに文具やコトリに行こうと思い立つ。その途中で店先に古いガラス瓶を並べている骨董屋に出くわした。300~500円とあったので真剣に探ると、中が銀化したシーボトルが一つだけ紛れていたのでそれを持って階段を上った。階段の途中に古い乳白の縁のデザートグラスの類が並んでいて当たりの店だと知る。乳白の縁のを裏返すと3000円とある。まぁそうだろう、この類は私が高校のころからこんな値段だった。とするともしかしたら随分この店はお安いのでは?
いつの間にか店主が出てきていた。乳白は人気だから高いという。乳白でなくとも状態とつくりのよいものは3000円だそうだ。階段の脇の箱に雑駁に入れられているゆがみがあってガラスが分厚くほとんど透明のデザートグラスに手を伸ばした。
「その箱のは500円でいいよ。前はもっと数があったんだけどねぇ」
果物や冷菓を入れる器を探していた。でもどのくらい使うかわからないから最初は値段の張らないものがいい。
6個ばかり出ているのを持ち上げてためつすがめつしてかわいい子を探す。
ステムがねじってあって、よく見ると微かに紫を帯びている君がいい。
シーボトルとデザートグラスを持って店に入った。中には様々なガラス製品、レトロなガラスの照明、おそらく店主の奥さんが作ったのであろう古裂の小物などがいかにも素敵に大事そうに並べられている。散歩の序に買えるような値段ではないが、眺めるだけで眼福だ。
銀化シーボトルは、鎌倉でシーボトルを長く収集していた人から譲り受けたもので、私が買ったものが最後の一つだという。
底が割れているのを石膏で乱暴に補修してある。この乱暴さがいい。割れていてもその美しさに拾わずにおれなかったのだろう。そうしてけがをしないように急ごしらえの石膏で傷をふさいだのだろう。よしよし、うちに連れて帰ってその石膏のばんそうこうを水で溶かして、かわりに石粉で塞いで金か銀で化粧をしてからオーブンで焼き付けてきれいにしてあげよう。
それから店主と金継の話になった。主人はちょうど今日ぎやまんのちろりに錫の蓋を落として欠いてしまったのだという。見せていただいたが非常に良い品で、店主の悔しさが伝わってきた。話の流れで、自分がしているのが漆を使った本式の金継ではなく、接着剤と焼き物用の絵の具を使ってオーブンで焼成する簡易金継であること、本式程の格はないが電子レンジで使えて至便であることなどを説明した。
「ガラスだと焼くわけにいかないから、どうやって直せばいいのか…」
ガラスの金継があることは知っていた。しかし骨董屋で金継もやっている人がそれを知らないわけがない。たぶん技法で迷っているのだろう。ついでにいうとガラスが割れるのは急に熱を加えるからで、常温からゆっくり温度を上げれば家庭用オーブン程度の高熱に耐えられることも知っていた。しかし多分その話は、例えば修繕したシーボトルを持ってきたときにでもした方がよいと思われた。
その後店主は鎹直しをした大皿やらを奥から出して見せてきた。こういう風に修繕したものは持ち主の慈愛が感じられて好もしい。
「うちはガラスの専門なのでこういうのを手に入れても値段のつけようがないから困る。今度業者の市に出す予定だ」
「自分はラリックではなく××の香水瓶の方が好きだ。フランスで買い付けを頼んだがもうあちらの市場には出回っていないそうで、うちにあるのは皆日本で見つかったものだ。日本人は物を大事にするから良く見つかる。古い家の引き出しを丁寧に探って見つけるのが大変楽しい」
古い香水瓶が見つかるような家に上がるときにはいろいろ苦労もあるだろうに、店主はいかにも楽しそうに話すのだった。なるほどこの店の美しい古い照明やら切子のコップやらリキュールグラスなどは店主の愛玩の展覧会なのだなと知りこちらまで楽しくなった。
店の主人が好きという××がなんであったか忘れてしまった。気になるのでもう一度行って聞かねばなるまい。そのときには修繕したシーボトルを持って行けるといいんだが。
デザートグラスは、連れて帰ってきてしみじみ見たら大きめの気泡が入っていたり筋があったりステムが歪んでいたりしてその不器用なところがいよいよ好きになった。底も水平じゃなくて少しグラグラするのがまた愛おしい。君はこれからうちで美味しいアイスクリームやプリンやそれとも果物をのせて暮らすのだよ。
そんな鎌倉散歩であった。