朝食に昨日購入したパサージュ・ア・ニヴォのパン・オ・レザン320円とソーシス320円を頂いた。
まぁこのルックスを見たらあえて駄文で装飾する必要もなかろうと思われるが、総じてつやっつやしててこんがりした焼き色のついているヴィエノワズリーは美味いに決まっているものだ。本当に美味しい。最近自宅の近所によいパン屋を見つけてうきうきしていたのだが白旗である。この店が駅近くにある武蔵境の住民がうらやましくて仕方がない。
温め直さなくてもすごくすごく美味しいどちらかというとドライ寄りのソーセージの乗っかったソーシス。クロワッサンみたいなカリカリの生地に乗っかってて食べ応えがあってサイコー。
ホテルを一旦チェックアウトするので発送する荷物をサブバッグにまとめ部屋を整える。着替えやスマートスピーカー、壊れ物以外のお土産やら資料やらは自宅に配送してしまうのが吉である。中近東文化センターで何を買い込んでくるかわからないので一旦サブバッグを預かってもらうことにした。このときなんとなくマグボトルに氷を詰めてサブバッグに入れておいたのが後で功を奏することになる。
中近東文化センター
前日同様冷蔵と冷凍のペットボトルを持ってまずは中近東文化センターへ。
バスの途中で「マイスタームラカミ」のトラックを見かける。もしや旅程に組み入れるのをあきらめたマイスタームラカミがバスの路線沿いに存在しているのか?Google Mapで調べたところお昼を頂く予定のハイナン焼きショーロンポーの手前にあるようだ。何が何でも帰りに寄ってやろうじゃないか。
西野のバス停からルーテル大学を過ぎて中近東文化センターに向かう。入り口にアメン神像とハンムラビ法典碑があってのっけからテンションが駄々あがりする。
オァァァァーッ!これがあの!アメン神!
オァァァァーッ!これがあの!ハンムラビ法典碑!
テープで囲ってあるのは「目には目を 歯には歯を」の部分である。
ええ…楔形文字読める!読めるぞ!の黒い石より思ってたより複雑なんですけどぉ…画数多くね?
このハンムラビ法典の後ろにある男子像頭部。
男子頭部像。メソポタミア。前18世紀。こちらはハンムラビ法典碑の上部に浮き彫りされているハンムラビ王と同じ描写であることからハンムラビ王像の頭部と推定されているのだそうだ。
サイトの利用方法に従い事前にメールで入館予約をしていたので名前を告げて入館料1000円を払う。
入館チケットどれがいいですか?と差し出されたのがこちら。
えっこれパピルスじゃないですか?有料の栞を入館チケットとしていただいてよろしおすか?
バステトにしたわけですが。
どれが人気が聞いてみたところ、ツタンカーメンとクレオパトラだとのことだった。ちなみに栞を入れる袋(糸の色が違う)も選ぶことができる。至れり尽くせりである。
他物販には
パピルスや
エジプトの香水瓶やオリジナル円筒印章
エジプトの青いカバ マスコットキャラのルリカグッズもある。
ルリカさんは紀元前2000年頃に作られたそうな。つやつやしてるが釉薬は使っておらず、砂をすりつぶしたものに植物の灰などを混ぜて焼いた「ファイアンス」(古代エジプトでは「チェヘネト」と呼ばれていた)だそうだ。このファイアンスについて調べたところ、2018年に東海大学が製法の再現に成功したばかりだということがわかった。焼き物とも硝子ともつかない独特の風合いはつい先日まで失われていた技術によって生み出されていたのだな。すごいぞルリカさん。
なお、メールで撮影許可を得ていたのでこの記事には写真満載であるが、私への許可を最後に館内の撮影は禁止になったようだ(別に私が何かやらかしたわけではなく許可メール返信後の会議で決まったらしい)。一般入館者として撮影できるのは私が最後ということで存分に撮って参った。
まずは前10世紀のエジプトの木棺蓋から。
思いのほかみっちり描いてある。
頭からも撮ってみた。
ここからは好きなもの。
人面注口付水注。イラン?。前10世紀。
アヌビス。エジプト。 前1580-1200。微かにみえる毛並みの写生と腰回りからしっぽに至る図像的造形の融合が素敵な逸品だ。
これ以上ない猫足スツール。エジプト、前14-13世紀。
中近東の食について紹介したコーナーがある。中近東と言えば小麦である。長い間なぜ小麦はコメのように粒食にならなかったんだろうという疑問を抱いていたのだが、こちらの展示で、「小麦は硬い皮を外す際臼を使ったので種もつぶれた。ついでに粉になるまで臼で挽いた。米は小麦に比べて皮が柔らかく種をつぶさなくても取ることができたので粒のまま食べた」ということを知った。
というわけで小麦製粉体験コーナーの中近東のすりうすで小麦を粉にしてきたよ!
いやこれ位の量だったらなんとかなるけどパン一個分でも挽くのめっちゃ大変ですよ。あの頃パン屋とかどうなってるの。こりゃ奴隷要るわ。工業って素晴らしい。
この体験の後近くに置いてある刷毛で掃除を試みたがどうやっても無理。すごい散らかる。受け付けの人に泣きついたところ後で掃除しといてくれるとのことであった。平日人のいないときに行って良かったぁ。じっくり取り組めたからなぁ。
旧約聖書に乗ってるソロモン王の献立とか(そんなん載ってたとか知らんかった)、アッシリア王・アッシュルナツイルパル2世の新宮殿完成祝いの食事とか、食材の単位がすごくて笑えた。「肥えた牛 1000頭 子牛 1000頭(以下略)」とか安愚楽牧場もポックリである。
青釉七連皿。イラン。11-12世紀。こちらのお皿、薬味が入ってたのかなぁ、前菜かなぁ、どんなお料理が盛り付けられていたのかなぁと心躍る作りである。
さて冒頭のハンムラビ法典にも出てきた楔形文字、画数が多かっただけあってメソポタミアには粘土板の家という学校があり、粘土板の作り方や葦のペン(スタイラス)の使い方を学んで書記となったらしい。
そもそも楔形文字の起源は世界史の教科書でも習った通り財産目録であったわけだが。
(ウン、見事に財産になるようなものを表す文字しかない)
絵文字書板。イラク(複製)。前4000年紀末。未解読だが土地の分配に関わる行政文書らしい。前4000年紀末ってすごくね?
シュメールの勘定書。イラク(複製)。前2600年頃。勘定書!このころの記数法とかどうなってたんだろうと考えると眩暈がしてくる。前2000年頃には60進法と位取りが用いられるようになったというが、その前はどうやって計算してたんだよォ。零には感謝しかない。
大洪水物語。イラク ニップール出土(複製)。前2000年頃。おお…これがあの旧約聖書の大洪水物語の原型にもなったというシュメールの大洪水物語の書板…。「七日七夜洪水が陸地を荒れつのり大船が大水の上でもてあそばれた後(太陽神)ウトウが現れ天と地に光を注ぐ。王ズィウスドラはウトウの前で身をかがめる。王は雄牛を殺し、羊を屠る。」ってサイズちっさ!これを葦のペンで書いてたのぉ?ほんとにぃ?
さらに
少年非行の最初の例。イラクニップール出土(複製)。前18世紀頃。「父親とつむじ曲がりの息子」というシュメール語のエッセーで、今から4000年近く前の父親が恩知らずで非人間的なふるまいをした息子を激しく叱りつけたエピソードを記した書板らしいですが
小さい!
小さいよ!
もはやマイクロ文字だよ!(そこまでじゃない)
こんなんどうやって書くの。ほんとに。
なんかこう、4000年前の非行がこうやって語り継がれてるのも中々だと思いますが、こんなのをちまちまちまちま書いてねぇ、出版してたんでしょうかね。すごいねほんとに。
というわけで楔形文字体験コーナー!
ちょっと楔形文字想定以上に複雑なんですけどォォォ!
というわけで粘土板に本名書いてみました。暇だったら対照表で解読してください。
努力はしましたがね、多分学校だと落第してますよ。全然無理。書き損じたらどうすればいいの?全部やりなおし?キー!エ行とオ行の複雑さが洒落になっとらんわ。どうやったらこれをさぁ、あんなちっちゃいとこに書けるのぉ?まぁ昔の人からしたらこっちの漢字だって中々なモンなんだろうけどさぁ、楔形文字書記には膨大な敬意を表せざるを得ないわ。
さてみんな大好きガラスコーナー。
まずはエジプトのコアガラス。
モザイク小片。エジプト。全1-後1世紀。アヌビス君かな?
アクエンアテン。エジプト。前14-13世紀。アクエンアテンとは誰じゃらほいと思ったらアメンホテプ4世であった。彼がアメン神官団に対抗すべく唯一神アテンを主審に据えるという宗教改革を行ったことを踏まえると改名後のアクエンアテンで表記するのが正しいよな。
有翼スカラベとホルス。エジプト。前7-6世紀。硝子コーナーにしれっと置かれてたけどファイアンス。確かに色と風合いがカバさんと同じだ。
典型的なコアガラスと言ったらこういうのになるだろう。化粧用ガラス壺らしい。
ここからは吹き技法のローマガラス。
葡萄唐草装飾瓶。シリア。3-4世紀。何とも言えない美しい表面であるが当時からこうだったわけではなく銀化による。銀化とは
土の中にガラスが埋まっている間に、ガラスに含まれるアルカリ分や珪酸塩が、土中の水分や酸などにより溶け出し、周囲の元素と化学変化を起こして、ガラスの表面に雲母状の薄い膜を形成します。
長い年月の間に多層の薄膜が形成され、光を乱反射したり、プリズムのように光を屈折させるため、金色や銀色に輝くのです。(とんぼの眼玉 コラム01. 「ガラスの銀化とは?」)
というものである。
もぉこの構造色めいたきらめきが好きで好きで一時はクラフトパーツのイベントなどで探しまくってペンダントなどに仕立てて悦に入っていた。そう、欠片は結構見つかってお値頃に買えるのである。なお銀化はおそろしく剥落しやすいため風合いが悪くなるのを覚悟でレジンなどで保護した方がよい。
閑話休題。
カット装飾碗。シリア。前5-3世紀。
リブ装飾壺。シリア。3-4世紀。
聖樹双獣文杯。イラン。全1000年紀初期。金杯である。素晴らしく美しい。これが3000年前かぁ…。
象牙製飾板。イラク ニムルド。前9-7世紀。こちらは英国の考古学者マックス・マローワンが発掘したスフィンクスをモチーフにした王様の家具の飾り板とのこと。ちなみにマローワンの最初の奥さんはアガサ・クリスティーで発掘にも楽しく参加したそうだ。
ファイアンスコーナー。
ウアジェト(下エジプトを守護するコブラ女神)。前3-後1世紀。エジプト。お守りらしい。良いセンスだ。
二連ヘス壺(祭儀用水差し)。前3-後1世紀。エジプト。こういうのもお守りになるのな。
ホルスを抱くイシス神像。エジプト。前3-後1世紀。
トト神像(文字と知識の神)。エジプト。前3-後1世紀。トキがモチーフだが嘴の研磨を省略しているためちょっとペストマスクっぽくなってる。
商業記録(刻印封筒付き)。不明。前1800年頃。封筒も粘土なんだな。
みんな大好き円筒印章は紀元前3300年頃に考案されたそうだ。円筒印章はスタンプ印章より面積が大きいので所有者の紋章に加え信奉する神の事績の名場面が刻まれていたそうだ。
壺に布または獣皮の蓋を被せ紐でくくった後紐を覆うように粘土で封じ粘土の上に円筒印章を押して封印するという使い方をしたようだ。
円筒印章。ミタンニ。
円筒印章。初期王朝3期(前2600~前2350年頃)。
貿易が盛んだったので各国の通貨が山ほど展示されていた。
サーサーン調ペルシアの平均約4グラム、直径約3センチメートルの薄手のドラクマ銀貨シリーズ。ぺらぺらって言っていいくらい薄かった。
面白かったのがオイルランプの変遷。
出土地:テル・ベイト・ミルシム(イスラエル)。前2200年-前1200年。
出土地:イスラエル。前37-323年。
出土地:イスラエル。324-640年。
緑釉双口ランプ。トルコ。1-3世紀。
素朴な造形が少しずつ複雑化し装飾を帯びる過程が面白い。
白地藍彩人物文鳥首水注。イラン。13-14世紀。これすごくあれじゃん…棟方志功じゃぁん…。
こちらでは何枚か絵ハガキをお土産にした。
マイスタームラカミ
再びバスに乗り坂井南三丁目を目指す。来たぜ創業90年の精肉店マイスタームラカミ!しかし帰宅はおそらく8時過ぎ、どれなら持ち帰ることができるだろうか。生肉は当然ダメ、ベーコンと揚げ物ならいけるのではないだろうか。
3日間スモークしたという魅惑のハードスモークベーコンはどのくらい持ち歩けるかを店の人に相談してみる。半日持ち歩くとなると勧められないそうだ。しかぁし!私は何かを予感してなぜか保冷バッグを持っている!さらにさらにだ、冷凍してまだほとんど溶けていないペットボトルもある!
「これでいけませんかね」
「うちでも氷をつけますのでそれならなんとか…」
あと帰ってからの夕飯用にハムカツ250円とメンチカツ100円台を買った。レシートどっか行ったので値段わからん。こっちは加熱してあるから半日持ち歩いても大丈夫とのことだ。
買い求めたハードスモークベーコン200グラム840円とペットボトル、店でもらった氷を保冷バッグに詰めて店を後にした。
ハイナン焼きショーロンポー
昼食はハイナン焼きショーロンポーで頂いた。
薬膳スープ、麻辣味とカレージャン味とプレーンの三種の小籠包、薬膳カレーの薬膳Bセットが2000円。辛口がどれほど辛いのかを伺ったところ少量味見させてくれた。野菜の甘味が十分に引き出されるまで煮込んだところに香辛料が入っているので全くマイルドである。ソイミートのから揚げは「このわざとらしい鶏肉風!」とゴローちゃんばりに叫びたくなるようならしい仕上がり。ベジタリアンだったら素直に油揚げやがんもどき食べてりゃいいじゃんとか思ってたけどこういうのに合わせるのであればソイミートがよさそうだ。
焼きショーロンポーはひき肉を滑らかに挽いてあり且つスープをひき肉と一体化させてあるのでスープあふるる小籠包というよりものすごくあんのゆるいシュウマイみたいな塩梅である。薬膳スープはほとんど鹹味も甘味もないのだが薬膳としか言いようのない風味があってしみじみとする。冷やした甘茶を頂いたがこれが非常によかった。灌仏会あたりで頂いたことがあるはずだがここまで甘くなかったような気がする。カラメルにも似た不思議な風味と香ばしさがあった。有毒なアジサイの一種の葉を発酵させて作るそうで、なんというか、食に対する人類の執着はすごいな。
石井豆腐店
駅に戻る途中ただならぬ豆腐屋を見つけた。看板には石井豆腐店とある。
これ以上荷物を増やしてもと一旦通り過ぎたのだが、「義を見てせざるは勇なきなり」というよく考えるとあまり相応しくない言葉が頭をよぎり取って返した。品書きを見ると旅をさせてはいけなさそうな品物の中に「油揚げ 85えん こあげ 150えん」という文字を見つける。こあげというのはどういうものだろう。奥にいらしたアロハシャツを着たいなせなおじいさまに声をかけて見せてもらうと油揚げのちいさいのであった。油揚げ2つとこあげ1つを貰ったところこあげを袋に10個ばかり入れてくれて随分お得な気持ちになった。おススメの食べ方を聞いたところ、網で焼いて醤油をたらすのが一番とのことだった。
帰ってからの話になるが、フライパンにこあげを四角く並べて真ん中に卵を落とし蓋をして目玉焼きにし醤油をたらしたらこあげがこんがり香ばしく頗る美味かった。こういう豆腐屋のある三鷹の住民が非常に羨ましい妬ましいギリギリギリ。がんもどきや寄せ豆腐柚子豆腐抹茶豆腐ことごとく食べたかったよぉ。
ここで一旦ホテルに戻り冷凍要員となった凍ったペットボトルの代わりにサブバッグに入れておいたマグボトルを動員する。飲み残しのお茶を移すとあら不思議自販機より冷え冷えの飲料が。あとは壊れやすいサブレと巻せんべいをリュックサックに移したらサブバッグをコンビニから発送する。クロネコメンバーズだとちょっと安くなってお得である。
江戸東京たてもの園
さて旅も最後、再度の江戸東京たてもの園である。
田園調布の家 大川邸。
金持ちの応接間だー。
金持ちの食堂だー。
金持ちの台所だー。
流しにごみ入れが備え付けられておりよくできている。このころは分別しなくてもよかったからかもしれない。そういやぁこのころゴミはどうしていたんだろう、埋めたり自分ちで焼いたりしていたんだろうか。調べたところ
関東大震災による東京の人口移動により,東京市 (当時) の周辺町ではごみ・し尿処理が大きな課題になり,各町は競ってごみ処理体制の充実を図った。その中で1925年から26年にかけて起きたのが東京府目黒町と渋谷町の間のごみ戦争である。渋谷町が町のごみ焼却場を隣の目黒町に設置する計画を実行に移したため,目黒町の住民が反発し,遂には警察による逮捕騒ぎまで起きた。最終的には両町の間で妥協が成立し,渋谷町ごみ焼却場は目黒町に設置されたが,操業後もばい煙問題は解決できず,1932年の東京市との合併にあわせ廃止された。この経過を新たに見つかった資料を加えながら論じるとともに,迷惑施設の設置に関して考察した。
(溝入 茂『大正末から昭和初期にかけての東京府渋谷町と目黒町のごみ戦争 ――迷惑施設の立地に関する考察――』2012 年)
等の報告がある。大川邸が1925年(大正14年)に大田区田園調布に建てられたことを考えると、おそらく分別はせずとも回収と焼却がなされていたのだろう。何しろ渋沢翁鳴り物入りの計画都市だものねぇ。
金持ちのストーブだぁ。
勝手口も美しい。
高橋是清邸。
大分頑張って写真を撮ったつもりだったがあまりよくなかったので割愛。襖紙が美しかったので学芸員さんに当時物かを聞いたところ、移築時に襖の表紙をはがしたら出てきた襖紙を再現したものであるとのことだった。
村上精華堂という化粧品屋の
玄関引き戸の上のガラス欄間が大変美しい。
植村邸。
建物の前面を銅版で覆った看板建築である。実にしぶい。
穴は空襲被害の跡だそうだ。
いい暮らしができそうだ。
乾物屋大和屋本店。
鰹節が聴講生のようである。
荒物屋の丸二商店。
緑青がいい感じの看板建築である。銅版が凝っている。
これらの銅版は、さまざまな江戸小紋のパターンに基づいて張られている。すなわち、隅柱部分は「亀甲」、側面に突出した物入の正面見えがかり部分は「杉綾目」、ガラス欄間上部は「青海波」、そして同蛇腹上パラペット周りは「一文字」という風に。(『江戸東京たてもの園解説本』より引用)
万徳旅館。
土間、お店、中の間、和室六畳、奥まで。
小野寺醤油店。
店舗と袖蔵の間の雨どいの作りが美しい。
雨どい。
仕立屋。
後家さんなんかが住んでたら盛り上がっちゃうね。
万世橋交番。
顔を洗って茶を飲むくらいはできそうだ。
日報を書くには狭すぎやせんか。
川べりに建っていたからだろう、水難救助の浮き輪が備えてある。
デ・ラランデ邸。
こちらは今は武蔵野茶房になっている。
食堂。
シャンデリア。
食堂から居間を臨む。
応接室。
応接室の向こうにある居間の燭台付きピアノ。
というシチュエーションで、カルピスシャビアンソルティーレモンを頂いたのだが、これが759円というのはいささか暴利ではないか。なんかこう、もうちょっと雰囲気のあるグラスに入れるくらいの配慮がほしいやね。
玄関ホールの天井灯の漆喰細工が素晴らしかった。
三井八郎右衛門邸。
ケチのつけようのない完璧な風情。
バチバチの日本家屋にあるゴリゴリのシャンデリア。
なんかうちの父方のじいさんちの書斎がこんな感じだったなぁ。畳敷きに無理やり洋机置いてる感じ。
料理長がいるうちの台所。
コンロ四つにオーブンでも足りなかったろうなぁ。
食堂がこれで
客間がこれですからね。なんかこれ歴史のドキュメンタリーで見たことある!みたいなやつですよ。
玄関入って左手に手洗いと便所がある。
さてようやく家に帰りついて、お楽しみのマイスタームラカミである。
こちらお店で聞きそびれたが赤と緑がほの見えるところからするとパプリカリオナーではないかと思う。ハーブの風味も相まってハムカツという名称から想像されるいい意味でのチープさが微塵もない。コースの一品を張れそうなほどである。このハムソーセージをカツにしてしまうのは冒涜なのではないかと背徳感を抱けど箸はとまらない。ソースをかけるとハムソーセージそのものの精妙な味わいが消失するのでそのままがよろしい。
※ハムカツとして販売されていたがパプリカリオナーはソーセージであるとのご指摘を頂いたのでサイトを確認したらソーセージとの表記があった。謹んで訂正いたします。
これねぇ。これはねぇ。私は割とメンチカツが好きでいろいろなところで食べつけているのだけれどもこれまでの人生でこれが最上になってしまったんだよねぇ。三鷹かぁ…。今のメンチカツは肉汁をウリにしてたりするけどこれは油じみた肉汁だばぁタイプではない。肉だらけなのにしつこくもくどくもない。さっぱりしてるのに満足感が深い。単品でもいけるがスパイシーなウスターソースを併せると素晴らしく引き立つ。このメンチカツを知ってしまったのは全くの不幸だ。なぜなら遠くて今後買いに行ける見込みがないからである。
なお保冷バッグの中のペットボトルはまだ中に氷が浮いていた。ハードスモークベーコンも油揚げもみな無事であった。
そのうち一日がかりで小石川植物園に行こうと思う。そのとき、そのときにはだなぁ、屹度パサージュ・ア・ニヴォでパンをしこたま買ってマイスタームラカミでシャルキュトリーをしこたま買って石井豆腐店でがんもどきや豆腐をしこたま買うんだ…。
ランキングに参加しております。記事が面白かったらご褒美にクリックしてください。