即興厨房

大船市場で野菜を大量に買い込んでええ感じのお総菜を一週間分作ってはブログに記録する人です。器は骨董屋でこつこつ集めたぐい飲みやお猪口です。美術展、本、たまの旅行も記事にします。好きな動物はチー付与のどんぐりです。

あのこのこと、いまだに深く終わらないこと

あのこの口座、書類は全て揃えてあるのに未だに解約の手続きに踏み切れない。私の手であの子に一つの終止符を打ってしまうようで。あのこの同僚に預けたiPhoneがどうなっているかを聞く勇気がない。元スマホ修理店勤務であってもパスワードの解析は難しい、というよりほぼ不可能だろう。それでもやってみると言ってくれたその気持ちが嬉しかった。その後未だに連絡がない。返してもらったらそれも一つの終わりになる。ロックを解除できるようにしていなかったあのこのiPhoneの内容を知ろうとするのは冒涜なのか愛惜なのか測りかねている。あのこの骨は一そろいうちにいる。私はあのこが遺体安置所の検視台にボディバッグに包まれて横たわっているのを見た。私はあのこのまだ熱を持ったお骨を一つも余さず納骨袋に入れて持ち帰ってきた。役所の手続きもした。それなのに、それとは別に、わたくしという人間の芯の部分で、深い深い心の底の底の黒く強靭な何かが、あのこの生の帳をおろしたくないと言っている。今はそれでいい、今はそれに従おう。

 

そうして私は、元夫は来日の調整がかなわず、元夫の祖父母は経営している土産屋関連のイベントの出席のため、結局葬儀には出席せず、絞るようにして依頼してはじめて弔電をよこし、しかしお花料は送ってこなかったことについて理解できないままでいる。元夫はあのこの自死の知らせを聞いていち早く現地に行き情報を共有し慰めの言葉をかけてくれた。元夫の祖父母はあのこが訪ねていけば常に歓待し今回のことを夫から聞いて心を尽くした慰めの電話をくれた。それでも、そうであっても、そういうものなのか。

私はそれは仕方のないこととしてのみ込んだ。納得してると思うなよ。

また父が、遺品から脳神経外科の診察カードが見つかったことを以て、脳の不調を悲観して死んだということを確証もないまま自身の知りあいに言いまわっていたこと、自ら死を選んだ理由が明示されていないのに遺ったものが勝手に想像するのは冒涜に近いと考えた私がそれを指摘し争いになった際に「それなら香典は渡さない」と言い放ったことに失望した。「父さんがそうしたいならそれでいいよ」と返した私に向かって「香典10万円だぞ?ほんとうにいらないのか?」と言った、その時私は父が私とは異なる世界に生きていることを知った。孫の死で混乱している?年寄りなんだから仕方ない?知らんがな。ただ、私と一緒に悼むことよりも、自分の上に突如起こった不幸について周りに嘆くことに熱心だった。私に対してはきわめて卑近でつまらぬ脅しを仕掛けるほどに、私は父にとってともに悼み嘆く、ましてや慈しみ慮るような相手ではなかったのだ。

そして葬儀当日、父と上の息子は体調不良を理由に欠席した。小規模な葬儀とはいえ、私は、社会経験の少ない弟と年老いた母だけを頼りに、自分が信じていない宗教、行ったことのない教会での葬儀と会うことの少ない遠来の親戚への対応と進行で手いっぱいだった。葬儀の進行や様式については出来る限り調べまた打ち合わせをしたつもりだったが2人の欠員が響き知らないこと手の回らないことばかり、連絡系統も機能せず、たった一人、父方の従妹が心を尽くして手伝ってくれたことは忘れられない。集まってくださった子供の同僚を十分に遇せなかったことを未だに狂うほどに悔いている。火葬もそうだが、葬儀においても、もう少し、もう少しだけ、自分の息子として、わがこととして悼みたかった。葬儀というイベントを滞りなく進行し皆に無事帰ってもらう、それが喪主の仕事だとしたら、私はやり遂げた。それだけだ。

上の息子は真面目に重い風邪のようだった。父は葬儀から帰った母を駅まで車で迎えに来ていた。車で迎えに来れる程度の体調不良であれば葬儀には出られたのではないか。理解も納得してると思うなよ。なおお花料は満額10万円であったことを父の名誉のために付記しておく。

世界には今もたくさんの理不尽な必然がある。あらゆる方法で人々は今も体の一部や命や心を失い続けている。せめて私は死ぬまで生きて、可能な範囲で誰かのために努めようと思う。