即興厨房

大船市場で野菜を大量に買い込んでええ感じのお総菜を一週間分作ってはブログに記録する人です。器は骨董屋でこつこつ集めたぐい飲みやお猪口です。美術展、本、たまの旅行も記事にします。好きな動物はチー付与のどんぐりです。

樹海の子ども

私は樹海で子どもを喪くした親になるのかも知れないと思った。まだ体は見つかっていない。生きているのか死んでいるのか宙ぶらりんなありさまだ。まるでシュレディンガーの猫だ。そんな不確かな状態があるわけはないとシュレディンガーは揶揄した。しかし量子はそんな風に不確かなもので、それを使って人は優れた演算装置を作ろうとさえしている。

私の子どもはどこかで生きているのだろうか。私の子どもはx日前に彼女さんと同棲していた家を出たそうだ。子どもの勤め先のオーナーさんからは、朝方仕事から帰って荷物を詰めて、彼女さんにちょっと出かけると言って出て行ったと聞いたのに、後からの話では「樹海に死にに行ってくる」になっていた。多分最初からあの子は樹海に死にに行ってくると言ったんだろう。そうして私に気を使って、それとも伝言の齟齬かなにかで、当たり障りのない柔らかい言葉に差しかわったんだろう。

オーナーさんは、これまで無遅刻無欠勤であった子どもが無断欠勤したので警察に届けてくれたらしい。タクシーも呼べない夜の夜中に電話があって、逡巡した私は80近い母親をたたき起こして子どもの居住地近くの警察に向かった。行方不明者の届を出して多分その次の日に、オーナーさんから電話があって、そのとき彼女さんと少し話をした。

彼女さんはほとんどしゃべれない状態だった。どうか自責しないでください、あの子にはあの子の理由があって行ったのです。あの子と一緒に過ごしてくれてありがとう。

彼女さんと子どもとの間にどういうことがあったのかはわからない。喧嘩ではきついことを言い合うだろう。それはお互いの話だ。彼女さんとの喧嘩はただのきっかけで、結局それまでずっと内心で捌きそびれていた何かが、両手でようやく抱えられるような大きな甕に溜まっていた何かが、重たくて重たくてどうにもならなくなって、もうどこかに遣ってしまうか、それとも自分をどうにかしてしまうか、どちらかを選ぶほかなくなったのだ。

どうして相談してくれなかったのか、などと考えることは適切ではないと思った。自分自身何度も自死を選び損ねていた。人に相談したってどうにもならないと思っているのだ。そうしてそれはその人にとってまごうことなき真実なのだ。君の痛みは君の痛みだ。君の悩みは、君の閉塞は、君の希死念慮は、君だけのものだ。君が還らない旅に出ようと決めたのも君だけの理由だ。私はそれを想像しない。私はそれを推量しない。私はその絶望を、その閉塞を、けして君から奪わない。ただ茫然と、茫漠と、君がいなくなってしまった空間の前で立っている。

もう君の声でお母さんと呼ばれることはないのか。

ラインのやり取りを読み返した。表面上は悪い関係ではなかったことに安堵した。そうして、今どこかで、もしかしたら、青ざめた顔で木に凭れかかり雨に濡れている子どもの頬とまつ毛に灯っては落ちる滴を幻視した。

昨日の朝方子どもの携帯電話の電源が落ちた。x日前、遠い山の中から、子どもが一番慕っていた知人に、睡眠薬と酒を飲んだという電話があったそうだ。遭難して生きていられるのは3日が限度だという。それ以上は、多分、その人が生きたいという気持ちによるだろう。

私はあの子がどこかの宿で炬燵に入ってぬくぬくしながら酒を飲んでどうやってみんなの前に顔を出そうか言い訳を考えてくれていることを願っている。しかしその願いはとても、とても空虚なものであることも承知している。私の母は希望を捨てるなという。しかし私は現実に足をつかまれてもう一歩も動くことができない。

あの子の体はもう朽ち始めているのかもしれない。あの子の肺はもう酸素を取り込まず、あの子のミトコンドリアはもうエネルギーを産生せず、あの子のあらゆる細胞は増殖をやめ、細菌に対する抵抗力を無くし、ゆっくりと分解され始めているのかもしれない。

あの子の体をつかまえにいきたいけれども、私には術がない。術があったら何ができたろうか。私は生きたあの子をどこかから連れ還せるのだろうか。あの子は、今一体どうしているのだろうか。

今生きている全ての人、全ての子ども、全ての大人。自死など考えたことのない人、閉塞するとすぐに選択肢として自死が目の前に立ち現れる人。みんなえらい。今生きているからえらい。あなたは自死を選ばないことで、たったそれだけのことで、あなたの周りのすべての人を知らない間に幸いにしているのだ。あなたはえらいのだ。今これを読んでいるあなた、あたたかいあなた、息をしているあなた、ばらいろの頬のあなた、涙をこぼすことのできるあなた、何かを食べることのできるあなた、立ち上がることのできるあなた、首をかしげることのできるあなた、私を見つめることのできるあなた、誰かの名前を呼ぶことのできるあなた、あなたはそこにそうやってあるだけで素晴らしいのだ。あなたが生きてくれていてくれてありがとう。あなたが生きてくれていてくれて私は嬉しい。もしあなたが自死を選びたくなったら、私がここにいます、ここにいますから、どうか、その前に、私を思い出してください。そうしてあなたは、そこにいるだけで、そこにあるだけで、たくさんの誰かを幸いにしていることを、たくさんの誰かを安心させていることを、そういう尊い存在であることを、どうかけして忘れないで。