3か月前、世界を感じ、考え、発話し、行動する一つの個体が喪われた。世界に人の形の空洞が生じてそれはおそらく永遠に埋まることはない。このような空洞を量産することを承知で戦争を続けるプーチンは凄まじい。ロシアにあったのは例えば資源の流通の危機ではなく他国からの侵略でもなくただ概念としての国体の一部の欠落であった。その回復のためにプーチンは自国民を暖炉の薪のように送り火力で他国民を燃やし続けている。プーチンは長い時間をかけて冷戦終結後の大国の首長として相応しい統率力を持っているかのように己の人物像を作り上げてきた。日本でも一時プーチンがキャラクター化され熊に跨るプーチンのコラ画像などがもてはやされたものだ(そして私ももてはやした一人である)。しかしその人物像は結局のところ自国民に対し己の計画は自国民と資源を費やしてでも実現すべきものだと納得させるためのものであり、その計画の目的はロシアとベラルーシとウクライナが元来三姉妹のように一体のものであったという概念を現実とすることにあった。たとえ母から生まれ子をなしていても、概念の現実化のために、人間は人間をいくらでも塹壕に焚べることができるのだ。血と肉と骨を持ち神を信じていても、同じように大地に立ち空を頂いていても、同じように煮込みを食べ酒を飲んでいても。このようなことができる人間とはなんと凄まじい生き物なのだろうか。