即興厨房

大船市場で野菜を大量に買い込んでええ感じのお総菜を一週間分作ってはブログに記録する人です。器は骨董屋でこつこつ集めたぐい飲みやお猪口です。美術展、本、たまの旅行も記事にします。好きな動物はチー付与のどんぐりです。

ジラソーレの閉店、細工のない薩摩切子、シェル型スプーン

これからも末永く月に一度は覗きに行こうと思っていたギャラリージラソーレ。サイトで営業日を確認したところ、閉店するとの記載があった。

9月いっぱいは不定期営業というので、前の日に電話してから訪ねた。すでに店内の棚もいくつか片づけたとのことだが、まだあの素晴らしい窓辺はそのままだった。

良い店だった。いつ行っても新しい品があり、そうして変わらず迎えてくれる品もあった。とても素敵な場所だったので、半年前に知ったばかりなのに、名残惜しくて名残惜しくて心の手を伸ばして引き止めたいような気持になった。

そんな場所への思いとは別に、私は一つの品が売れずに私を待っていてくれることを祈りながらここに来た。

薩摩切子。いつか手元で愛でたいと思っていた。私にとっては切子の頂点であり、一つ、たった一つでいいから、心に適う品に出会いたいと思っていた。

以前この店で見つけた細工のない不思議な硝子の猪口。1万5000円といわれた品を、閉店の前にどうしても身受けしようと思ってお札を懐に参じたのである。

「実はこちらを買いに来たんです」

店の主人は私が手に持った藍色の猪口を見て

「僕は前いくらといいましたか」

「1万5000円とおっしゃいました」

「1万円でいいよ」

や、そんなに。よろしいんですか。

そうして買い求めたのがこちらである。

店の主人は、比重をはかったところ4.0ないから薩摩切子ではないんじゃないかという。しかし後で調べたところ薩摩切子の比重は3.5だそうなので4.0なくても薩摩切子の可能性はある。にしてもなぜ何の細工も施されていないのか。

「作りかけなんじゃないかという人もいたよ」

「作りかけにしては完成度が高すぎるように思うのです」

「僕もそう思う」

 

後に、薩摩切子は細工を施した後最後に丹念に磨きをかけてこの端正になることを知った。こちらは細工はないが十分に磨かれているのでやはりこれで完成品ということになろう。

私はサントリー美術館でたぶん初めて薩摩切子に出会い強く憧れた。そうして無邪気にも薩摩切子はずっと作られ続けてきたものだと思っていた。しかし後になって、薩摩切子は幕末に20年ばかり作られた後一旦断絶し、現存している当時ものは200点程度、流通しているのはみな復刻生産されたものであるということを知った。そして復刻生産の品は裏面に銘が入っている。しかしこの猪口には銘がない。

(一体君は、誰がどんな構想を以て作り上げ、そうして今私の手元にあるのか。)

多分手繰ってもわかるものではないだろうが、美しい謎なので、追えるところまで追ってみようと思ったのだ。

 

品々が名残惜しくて、店の主人の鎌倉骨董界の四方山話を聞きながら店内をつぶさに見ていたところ、かわいらしいシェル型スプーンを見つけた。

「ああ、それ、あなたがうちで買ったデザートボウルに合うスプーンを探しているといったとき、たぶん在庫があるといったでしょう。見つかったから持ってきたんだ。一つ300円、二つで500円でいいよ」

私が店に入ったとき、そんなことを店の主人はおくびにも出さなかった。私が見つけるのを測っていたのか、それとも伝えるのを失念していたのか。どちらでもよい。ただ私の小さな依頼を覚えていて閉店間際にかなえてくれたその心映えが嬉しかった。

デザートボウルには燕物産の月桂樹が比翼連理であるが

新しいシェル型スプーンはメルカリで買ったビスタアレグレのデミタスカップにこれ以上ないくらいぴったりなのだった。

店の主人は、こうやって客が最後に訪ねてくれるのが嬉しい、嬉しいと言っていた。店を出た私は、夷堂橋を渡り、本覚寺を左に歩きながら、明日には無くなるだろうあの窓辺のことを美しい幻のように懐かしんでいた。