2026年2月平日に熱田神宮に行き、きしめん宮で宮きしめんを頂き、草薙館、宝物館を鑑賞してきたので備忘のため記録する。
アクセス
熱田神宮正門(南門)には、地下鉄名城線「熱田神宮伝馬町」駅の1番出口より徒歩7分。
西門には地下鉄名城線「熱田神宮西」駅2番出口より徒歩7分。
東門には名鉄名古屋本線「神宮前」駅から徒歩3分またはJR線東海道本線「熱田」駅から徒歩8分。
施設営業時間並びに入館料
熱田神宮:24時間
宝物館:9:00-16:00 入館料500円
草薙館:9:00-16:00 入館料500円
宝物館・草薙館共通入館券:800円
宮きしめん 9:00-16:30
熱田神宮


熱田神宮由緒
神社縁起または由緒を境内の「神話と歴史でたどる熱田神宮千九百年の歴史」の説明板から要約する。
熱田神宮に祀られている草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)はスサノオノミコトが出雲の国で対峙した八岐大蛇の尾から出現した天叢雲剣である。神剣は天照大御神に献上されたのち、瓊瓊杵尊降臨の際に三種の神器、八尺瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙剣の一つとして授けられ、以降宮中に留められた。
第十代垂仁天皇のとき、鏡と剣は宮中よりお出になり、倭笠縫邑で祀られた。
第十二代景行天皇の王子日本武尊は東国平定の名を受け、伊勢の神宮に参拝し、倭姫命から天叢雲剣と燧を授けられ、尾張の国火上の里の国造戸乎止与命の館に立ち寄り宮簀媛命と結婚したあと征討に向かう。駿河の国で狩りをしていた時賊により野火をかけられたが、神剣で周りの草を薙ぎ燧で向かい火を点け賊を滅ぼしたので以来草薙神剣と称するようになった。東国平定後尾張の国に帰り宮簀媛命を妃としたが天王より再度伊吹山の賊を平定せよとの命を受ける。日本武尊は草薙神剣を宮簀媛命のもとに留めおかれて出発したがその後病で亡くなる。宮簀媛命は託された草なぎ神剣を尾張氏一族の最上としていた熱田の地にお祀りした。これが熱田神宮のはじまりである。
ここから個人的関心領域の都合により近代に飛ぶ。
1868年、第百二十二代明治天皇は王政復古の奉告に、伊勢の神宮と熱田神宮にだけ勅使をお差遣になった。
1871年、明治政府から寛平大社に指定され、その後1893年、尾張造の社殿から神明造の社殿に改造された。これは時の宮司角田忠行が、三種の神器を奉斎するにふさわしい神宮の在り方を考えて、伊勢の神宮と同様な社殿とすることを政府に建言した結果による。
1917年例祭に勅使が参向される勅祭社となった。
最初の起りは確かに天照大御神に縁るところがあったが、その後は尾張氏が尾張づくりの神社に祀っていた。明治になって神道の再編成が行われた際に宮司が建言した結果伊勢神宮と同じ神明造になったという次第。ここからしてもなんとなく伊勢神宮とは異なる熱田神宮の立ち位置がほの見えて面白い。
【参考】尾張造

(「神社の図鑑」より引用)
神明造

(岡田米夫『日本史小百科1 神社』昭和52年 近藤出版社 312頁より引用)
何故鏡と剣が宮中からお出になったのか
さて、この「鏡と剣は宮中よりお出になり」の理由が説明版には明記されていないのだが、
『日本書紀』崇神天皇6年条によれば、百姓の流離や背叛など国内情勢が不安になった際、天皇はその原因が天照大神(のちの伊勢神宮祭神)・倭大国魂神(のちの大和神社祭神)の2神を居所に祀ったことにあると考えた。そこで天照大神は豊鍬入姫命につけて倭の笠縫邑(かさぬいのむら:比定地未詳)に祀らせ、よって磯堅城の神籬を立てたという(Wikipediaより引用)
つまり天照大神と倭大国魂神を並べ祀ったことが国情不安定の原因と判断して天照大神の形代をよそに移したということのようだが、ならなぜ八尺瓊のみ残したのかはよくわからん。いずれにしても草薙剣は八咫鏡と共に各地を逍遥した後日本武尊に授けられるまでの間伊勢神宮に落ち着いていたようだ。(Wikipediaより要約)
熱田神宮御祭神
主神 天照大神
三種の神器の一つである草薙神剣を御魂代としてよらせられる天照大神
相殿 素盞嗚尊 日本武尊 宮簀媛命 建稲種命
大楠

弘法大師お手植えとも伝えられる大楠。樹齢千年以上とな。
きしめん宮
こちらの店は屋外席のみ食券制。
12時ごろになると食券提供席とも込み合うだろうと予想して11時半頃に食券を買う。

凡庸に見えるが椎茸はきっちり甘辛に煮締めてあるし油揚げはもう少し浅く煮含めてあるし丁寧な仕事で美味しい。ただしひらぺったさとつゆのすっきり感では名古屋駅の名代すみよしが勝る。
12時ごろになると案の定提供の窓口で詰まっておった。
宝物館
撮影禁止なので写真はない。
熱田神宮宝物館は、日本古代建築を髣髴とさせる校倉風鉄筋コンクリート造の建物で、昭和41年5月に竣工、同年12月に開館した。(中略)宝物館設置の目的は、神社の崇敬者及び崇敬の対象となる一般の人々に対して、神社神道の理解を深めことであり、所蔵する宝物・献納資料などをはじめ、広く外部資料の展覧を通じて、神道の伝播・布教・伝導という、広い領域での活動を実践している。
展示品は、皇室をはじめ歴代の為政者・尾張藩・一般庶民に及ぶ広い層から寄進された約6000点の資料が収蔵・公開されており、なかでも刀剣・和鏡・古文書・仮面・什器類等に貴重なものが多く、国宝を含む重要文化財・県指定文化財は現在77件176点にも及んでいる。また、熱田神宮には草薙神剣を奉斎する由縁から、刀剣類は特に多く、名刀の宝庫としても知られている。
(神社博物館事典WEB版 - 熱田神宮・宝物館より引用)
などという素晴らしい博物館なれば、もっと感想を語りたくなる展示物があったろう! と言われそうだが…。
江戸時代の『伴大納言絵詞』、それが何を表しているのか理解しないままただ線を引き写しているせいで人体の構造があやふやになっている上に漫画原稿のように服の柄や色の指定が入っているのが一等面白かった。
一方の『熱田神宮年中行事絵巻』はかなりの上手が引き写したようで描きぶりが極めてよかった。
『明治天皇御奉幣大判』、1860年に1709枚しか鋳造されなかった大判が1868年の明治天皇御参拝の折にご奉幣として納められたものだとか。大判というのはこういう時に使うのだなと感じ入った。鞄に紙幣詰めて納めるのも興ざめだもんな。
あと今『だんドーン!』読んでるもんで、江戸時代の『徳川慶恕願文』に感じ入った。外夷祈祷の願文である。
錦包挿鞋、神主さんが履いている沓の類なのだが底が反っているのが面白かった。履きやすいだろうかね。
草薙館
草薙館とは
御神体として三種神器の一つ「草薙神剣」を奉斎する熱田神宮に、令和3年10月4日に開館した刀剣専門の展示館です。
熱田神宮が所蔵する約450口の刀剣を毎月入れ替えて展示されます。
名刀鑑賞の他、実際の日本刀や「真柄大太刀」の大きさ・重量を実感できる体験コーナーもあります。(剣の宝庫 草薙館 | 【公式】愛知県の観光サイトAichi Nowより引用)
熱田神宮は三種の神器の一つである「草薙神剣」を 奉祀するお社であることから、古来、各時代に亘って刀剣の奉納が 連綿となされてきました。
(中略)
国宝・重要文化財に指定された刀剣は20口、 愛知県指定文化財は12口を数えます。
刀工の国も山城、大和、相模、 備前、筑前、美濃、尾張など 各所に及び、その作刀時代も 古刀、新刀、新々刀、現代刀など 長期間に亘ります。
「剣の宝庫 草薙館」は、 神様に祈りと感謝を込めて捧げられた 貴重な刀剣を紹介する当神宮ならではの 刀剣展示館です。
(中略)
また、奉納刀のなかで、 姉川の戦いで獅子奮迅の活躍をした朝倉陣営の勇士真柄十郎左衛門父子が 所用したと伝わる通称「真柄太刀」大太刀二口を同館内に常設展示致しております。(公式サイトより引用)
刀は一振りごとにガラス張りのケースに収められており表裏とも非常に見やすい。一方の展示解説はケース外の電子モニターに表示されしかも刀の属性と解説が切り替わるためちょっと読みづらい。
体験コーナー
やはりこちらの銘品と言えば大太刀 銘末之青江(太郎太刀)と大太刀 銘千代鶴國安(次郎太刀)であろう。まず現物の大きさに圧倒された後は展示室の中2階で大太刀の重さを体感してみよう。


大太刀 銘千代鶴國安(次郎太刀) 刃長166.7cm 反り2.6cm 全長244.6cm 拵え総長 267cm 刀身 約5kg(拵え含む 約8kg)

大太刀 銘末之青江(太郎太刀) 刃長221.5cm 反り3.4cm 全長303cm 拵え総長340cm 刀身 約6kg(拵え含む 約10kg)
真柄の大太刀は元亀元年(1570) 近江姉川の合戦で奮闘した剛力無双の士真柄十郎左衛門直隆・ 直基父子の所持と伝える豪刀二口であり、長い方を太郎太刀、 短い方を次郎太刀と 呼び習わしている。
同仕様の外装に納まるが、 これは享保3年(1718)に拵えられたもので、祭礼図等を繙くと渡御行列等の 威儀物(執物)として 用いられている様子が窺える。(公式サイトより引用)
10kgといやぁ米袋と同じだがこれが長物となるとまぁ持ち上がらない。両手でちょっと浮かすのがせいぜいである。末永く右腕と肩と背中に来るのでゆめゆめご無理なさらぬよう。アーってなる。アーって。
神鶏

熱田神宮では神鶏さまが生息していると聞いてはいたが行き会うとは思わなんだ。こいつぁ春から縁起がいいやぁ。
別宮八剣宮
この後御朱印を頂きに八剣宮と上知我麻神社に詣でた。

感想
2年前に伊勢神宮に詣で、初めて授かった御朱印帳に内宮外宮の御朱印を頂いた。さて次はどちらが適格か。三種の神器の一草薙神剣をお祀りしている熱田神宮がよかろう。そう思って詣で、無事御朱印を頂いた。さぁて次の八尺瓊勾玉は……皇居じゃぁん御朱印ないじゃぁん。というわけで三種の神器にかかる神社を巡ろうという浅薄な目論見は早々にとん挫。あとは自由にやりましょうや。
閑話休題。
神社の起こりがどうも綴り合わせのようで辿るのに苦労した。あと尾張造はマジで地域限定らしく、『日本史小百科1 神社』にも平面図は記載されていなかった。
唯一の心残りは、天照大神の荒魂をお祀りする一之御前神社に詣でなかったことである。
境内案内(地図)
意外と見つかりづらいので境内案内へのリンクを張っておく。