2025年10月25日から2025年11月16日まで有楽町マルイで開催中の『蟲師展』に行ってきた。


原稿にはすべて、作品の題名とあらすじ、その作品の主題となっている人の理を外れたものの名称と姿、原稿が作品の何頁めであるかを記載した題箋が添えられている。
人の理を外れ平素は覚えぬものどもをどのように表現するか。
















遠野物語を初めて読んだ時のような。
絵本やらまんが日本昔ばなしを介して昔から語り継がれるおとぎ話の筋はおよそ知っていた。しかしそれらは程度の差はあれ子供向けの配慮が施されており時代の口伝とは大分手触りが違っていた。遠野物語は近代に塗りつぶされる前にようよう拾った落穂の山であり、それらを改めることで私は大きく黒い淵の向こうにある原風景の温度を知った。
蟲師で描かれるのは、よく見聞きし慣れた世界に紛れ込んだ何かである。それらは異なる位相にあるから平素は人は覚えない。そして覚えたときには大概理外に連れ出されている。理外に連れ出された人を連れ戻したり、理外と折り合う方法を指南したりする、そういうのが蟲師のようである。だから蟲師が立ち会うのは、理外を覚えた人の行く末である。
私が一等好きなのは『筆の海』である。壁に貼り付いた文字の群れを淡幽が箸で摘まみ引きはがす、その曰く言い難い動的な静謐は初めて読んだ時から今に至るまでずっと特上に目覚ましいままだ。
この展覧会の誤算は、カラー原稿がすべて軒並み一枚残さず印刷だったことだ。私は漆原友紀先生の手の跡を見に行ったつもりだった。どんな風に色を掬い水を落としたか、原画に見入ればその工程が見えてくる。そのために行ったのに。
どれほど精密であろうとも、印刷というものは、これほどまでに情報を削ぎ落してしまうのか。
味がしない。
それはそれとて、漆原友紀先生が、自分の中にあるしののめのあわいのようなものどもを、ひとにわかるように丹念に物語に紡いでくださった、そのために引いた一本一本の線を見ることができたのは僥倖であった。
印刷だなんて言ったって佳いものは佳い。








