四日目の朝は青森魚菜センターで初日の3枚に1100円の5枚を足してのっけ丼である。
ちょっとこう載せ方がアレだがまぁ許してほしい。
刺身は全てじんやさん。ぶり、かんぱち、ヤリイカ、ひらめ、大トロ、中トロのオールスター。ここに山正高野さんのホタテの味噌汁と卵焼きをあわせたのだ。
が。
この卵焼き、滅法うまいんである。恐ろしいことに調味料は塩と砂糖しか使っていないというのであるが、汁気が豊かで甘さと鹹味がちょうどよく、私が世の中に理想とする卵焼きがあるとすればまさにこれであるといいたくなるような玉子焼きである。翌日土産調達時に卵焼きだけ現金で買い求めましたからね私は。そのくらい執着したくなる卵焼きですよコイツは。
券一枚一種の刺身なのに勘定が合わない?鋭いねお客さん、実はイカをおまけしていただきました。じんやさんのお刺身は大ぶりでうまくてよい。もしまた来ることがあったらたぶん山正高野さんの卵焼きとじんやさんの刺身を頂くであろう。
さてあおもり犬である。
青森県に行くとなれば当然青森県立美術館におわす奈良美智さんのあおもり犬にも会わねばならんと思っていたがまぁタイミングがアレで11月22日まで美術館が改修のため閉館しておった。23日という祝日に行くのは混雑が予想され気が進まなかったがどうしたって23日しか日がない。それで行ってみたら存外空いていて助かった。
というわけであおもり犬である。これと合わせてあおもり犬の写真が6枚続く。あおもり犬だからね。仕方ないね。
なおこのあおもり犬エリアにたどり着くためには地下二階から謎の経路をたどらなくてはならない。まぁ美術館の設計を任された建築家は往々にして謎の美学を発揮してわけわからんアクセスにするのでいつものことである。
君の名前がわからなーい!
すごく良い階段。
棟方志功、1941年、門舞頌。
青森県立美術館といえば特撮美術の成田亨の怪獣デザイン画を多数所蔵していることでも有名である。エレキングやチブル星人、カネゴン、ケムール人のデザイン画を見れたのは眼福であった。立体作品も複数展示があり、中でも怪走するケムール人の躍動感あふれる立体は素晴らしかった。
成田亨を味わいつくして満足したので歩いて三内丸山遺跡に向かう。
三内丸山遺跡センターの外壁は地層を表していると思う。このカシオミニを賭けてもいい。
お昼ご飯は屋内でいただきたかったが飲食は屋外とのことでテラスでいただいた。大して寒くもなかったので特段問題はなかった。
又二の塩パン。二本入りだったが一本は前の晩に食べちゃった。
青森シュウマイ店つつみの豚肉、いか、エビシュウマイ。イカとエビがなかなかうまかった。
三内丸遺跡といえばこの堂々とした六本の柱でできた何かであろう。何しろ穴しか残っていないから何かとしかいいようがない。しかし一本の穴に20トンの荷重がかかっていたことがわかっており、且つそれぞれの穴には2・3度の角度が内向きについていたことも分かっており、そこからするとこういう構造物だったんではないかというのがこの復元だという。
三内丸遺跡には県営野球場ができる予定であったという。もともと土器が出る場所として有名であったがそういう場所は日本には数多あるため多少の研究用資料を掘り出した後は予定通り野球場になるはずだった。しかしこの六本柱の遺構が出てきてこれはもう捨て置けんということで難を逃れたという。
直径2メートルのこんな穴が出てきたらそらあただ事ではないということになるだろう。村落の面積は42ヘクタール、東京ドーム9個分、紀元前約3,900~2,200年の1700年にわたって栄えたという。村の豊かさは交易品で測られる。また通常であれば腐敗する魚の骨などが山からの冷たい湧き水によってよく保存されており縄文時代の食性の研究の発展にも寄与しているという。ほんとうに、野球場にならなくてよかったねぇ。
集会所、共同作業所、冬季の共同住宅であったろうと言われている大型竪穴建物。
竪穴建物復元。屋根と大地が一体になっているこの様式は伏せ屋作りというそうだ。
ところでこちらには私の愛する火焔型土器はおらなんだ。あれは新潟あたりに見られるらしい。
みんな大好きミニチュア土器や
土偶やら。
夕方になったのでバスで帰ることにした。三内丸遺跡は終点なので必ず座れてよい。多分美術館が閉館の頃になるとバスも混むであろう。
夕飯は五所川原に牧場があるという吉兆で馬肉鍋と馬刺しセット1650円を頂く。
勝利を約束された馬刺し。
鍋には南部せんべいが入っておりうまい。
四日目も余すところなく良い旅であった。