即興厨房

大船市場で野菜を大量に買い込んでええ感じのお総菜を一週間分作ってはブログに記録する人です。器は骨董屋でこつこつ集めたぐい飲みやお猪口です。美術展、本、たまの旅行も記事にします。好きな動物はチー付与のどんぐりです。

2022年11月6~7日 静岡旅行初日 登呂遺跡、芹沢圭介美術館、フェルケール博物館、海岸食堂

日数:一泊二日

移動手段:新幹線、電車、バス、自転車

主目的:今年で一般公開がとりやめとなる東海大学海洋学部博物館を見届けること

副目的:静岡県でしか得られない文化と栄養を摂取すること

さらなる副目的:静岡県にしかない食品や調味料を得ること

 

11月7日(日曜日)

8:21 新横浜駅発 ひかり503号 スマートEX 5500円

9:02 静岡駅

静岡県南口の久能山東照宮里程標塔

9:XX JR静岡駅南口バスターミナル22番のりば 10分 190円

22番乗り場の左手には静岡市プラモデル化計画に基づいたモニュメントがある。これは右の子供ピクトさんに合わせて子供を立たせて撮影するという趣旨であろうモニュメント。

ここ静岡市は、全国に出荷されるおよそ8割もプラモデルを生産する知る人ぞ知る、ホビーの街。お店も企業も市役所も。静岡市のみんなでつくりあげる街づくりにご期待ください。

www.shizuoka.hakuhodo.co.jp

9:XX 登呂遺跡入り口バス停

街灯が竪穴系平地建物を模していてかわいい。

好天に恵まれた。

往時とは比べようもないだろうが村落の規模を髣髴とさせる広大な敷地。

竪穴系平地建物正面。

側面。

入り口。

内部。

ところで私がこちらの建物を「竪穴建物」ではなく「竪穴系平地建物」と書いていたことにお気づきだろうか。実は登呂は水はけが悪いため穴を掘って作る竪穴建物は建てられなかったのである。

遺跡周辺は、地面を掘るとすぐに水が染みだしてくる土地のため、地面を掘って床や壁をつくる「竪穴式住居」を建てる場所としては不向きでした。そのため登呂遺跡では、床を地面と同じ高さにして、周りにドーナッツのような盛土で壁をつくり、さらに住居の外周に排水溝を掘りめぐらせて水の侵入を防ぐ「平地式住居」がつくられました。遺跡内には、現在までに19棟以上の住居があったことが分かっています。(

弥生体験 - 遺跡体験 | 静岡市立登呂博物館

また、発見当時の復元模型はどことなく瀟洒なこんな形だった。ご記憶の方もおられるのではないか。

登呂遺跡が発見されたのは、太平洋戦争が行われていた昭和18年(1943)のことです。戦闘機のプロペラをつくるための軍需工場を建設する時に、土の中から土器や木製品などが偶然に見つかりました。戦争中だったため、短期間の簡単な発掘調査しか行われませんでしたが、住居や倉庫、水田の跡が土の跡に残っていることが分かり、土器、石器、木製品などが発掘されました。

昭和20年(1945)に戦争が終わると、昭和22年(1947)~25年(1950)にかけて、本格的な調査が開始されました。この発掘調査は、それまでの神話を元にした日本の歴史「皇国史観」を、科学的な方法で書き換えることでもありました。発掘調査には、考古学だけでなく、地理学、動植物学、建築学などの各分野の専門家が参加しました。また作業には研究者だけでなく、多くの学生や市民が参加し、「開放的な発掘調査」の手法がとられました。(登呂遺跡 - 登呂遺跡のあゆみ | 静岡市立登呂博物館 (shizuoka-toromuseum.jp)

登呂遺跡は敗戦により自国への誇りを失い無気力だった日本人に歴史の深さを再認させ国を賦活した非常に重要な遺跡だったのである。今はもっと学術的に重要な遺跡が発見されたため教科書からは外れてしまったそうだが、戦後日本の精神的支柱になったことは変わらない。

藁を干す。日本の原風景といわれるものを登呂遺跡で見ると感慨が弥増さる

葉を落とし茎だけにするための道具。わらすぐりという道具だと教えていただいた。

散見された謎の構造物。藁を干すためなのか、それともほかの用途があるのか。聞くのを失念した。

中の作りは丁寧である。

11時から火おこしの実演があったので見学する。


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火おこしが終わったところで11時開店の登呂もちの家で昼食をとる。こちらは200年前の奥会津の農家を移築した水車のある建物で風情がある。

店員さんの背中が写りこんだのはご愛敬。正面のラムネは展示品なので勝手に取らないように。

こちらは安倍川もちで有名なやまだいちが運営しており、良質のそばと搗き立ての安倍川もちをいただける。栗ご飯もうまいとのこと、今年の栗ご飯はこれで済ますつもりで「うす定食(栗おこわのご飯)」1300円を注文した。冷やしにしていただいたがそばが切り立っていて噛み応えがあり美味しい。正直そばのことはよくわからないが丁寧につくられたそばであることはわかる。栗ご飯はやや硬めに炊かれたもち米に控えめに甘い栗が秋らしくてよい。ひじきの煮物とカツオの角煮は総じて甘く、失礼ながら田舎らしい味わいである。

安倍川もちは食後に搗き立てを供される。もちの良質もさることながら黄な粉に合わせてある砂糖が甘すぎず浅すぎず丁度良く値打ちがある。なるほど黄な粉のみの販売があるわけである。

飲み物は最初そば茶、のちそば湯そば湯を茶碗に注いでいただくと体が温まる。昔の人には滋養だったろう。

屋内撮影の許可を訪ねたところ上がらせていただいた2階。渋さが5倍増しである。

暗くてよく見えないが上には水車のスペア部品がある。

2階から暖炉を見下ろす。煙を積極的に活用していくという気概が見えるつくりである。

美味しい食事で英気を養ったところでもう一度博物館に戻る。

博物館の屋上から遺跡を臨む。

富士山も見える。

弥生時代の陽根はちょっとスマートである。これで婦人の尻を叩いて子宝祈願なぞしていたのであろうか。

土器にもトレンドがあるというのは面白い。主に技術の向上による変遷だろうが、技術が洗練されれば好みの余地が生まれるだろう。下から上に行くにしたがって新しい。

土器の文様に櫛描きと縄文があったのは知っていたが、縄文は東、櫛描きは西、さて静岡はというとどちらも見られるというのが実に面白かった。フォッサマグナ、ヘルツ、どん兵衛のつゆ、それらは分断というよりも混淆なのだ。

ゆるすぎる馬。博物館で展示されているのはよいものばかりに見えて先人のほうが技術に優れていたのではないかと危惧していたが急に安心できる。っていうかこれ本当に全部馬なのか?犬とか混じってない?

博物館一階では田下駄などの縄文体験ができる。老婦人に熱心に織物の方法を聞いたら子供にしかくれないらしいシールをくれた。よっぽど一生懸命聞いていたのだろう。

実はこれを買いたかった竪穴式住居キット1650円。買ってから「あっ登呂遺跡の住居は竪穴系平地建物で竪穴式住居じゃないじゃあん」と思ったのは内緒だ。

あとはねぇ、定番ですよね、黒曜石の矢じり800円。これで魚を切ってみるんだー!

さて、次は芹沢圭介美術館である。

入り口からしてこれである。展示物の写真はないが、建物も展示も殊の外素晴らしいので登呂遺跡を見るなら必ず立ち寄るべきである。登呂遺跡博物館との共通券はたったの580円である。安すぎて申し訳ない…。ただ建物の作りがちょっとよくわからんかったので学芸員さんにきいたところ、どうも建築家先生が美術館ということを重視せずやりたいことをやった結果美術館なのに館内に噴水はあるわ窓が大きく切られていて遮光性に欠け全体展示品泣かせという話であった。色々あるんだな…。

特別展は芹沢圭介と沖縄というテーマであった。正直見るまでピンとこなかったのだが、芹沢圭介が本式に染色を手掛けるようになったのは1939年に沖縄を来訪し瀬名波良持と知念積秀に紅型の指導を受けてからのことであり、彼は沖縄の文物風俗に大いに魅了され、多くのスケッチを残しまた沖縄土産や沖縄の市場を主題にした染物作品を多数作成した。しかし戦後になってほぼすべてが戦争によって失われたことを知りひどく落胆したという。私も彼がのこした作品を見て初めてほんとうの琉球を見たような気になった。これが琉球だったのだ。人々が大切に暮らし、芹沢が愛した琉球だったのだ。掌で包むようにいとおしんできたもろもろが容易く焼き尽くされてしまったそれらはもう取り返しがつかない。私は芹沢の作品で琉球を知った。琉球はほかにどこに残っているだろうか。そして今ウクライナで同じことが起こっている、起こってしまっている。『戦争は女の顔をしていない』を著したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは、物語の続きを書かざるを得なくなることを予想していただろうか。そんなようなことを美しさとともに思い知りしみじみと首を垂れるような展覧会であった。

ところで芹沢美術館の絵葉書のお値段はおかしい。今時分どこでも1枚120円はくだらないところに過去の展覧会のはがきが8枚セットでたったの310円である。物販コーナーにカタログがあるからねちねち見てたくさん買うと良いよ!私は5セット買ったよ!

さてここからまたバスに乗って今度は静岡駅に戻り、そこから東海道線清水駅に行く。どうしてもフェルケール博物館に併設されている缶詰博物館を見たかったのである。しかしフェルケール博物館の閉館は4時半、バスの接続が悪く30分も見られないかもしれない。清水駅を出てバス停で試案していたら何やらいかにも観光客に優しそうなバスが止まっているのを見つけた。もう出んとするところの運転手さんをつかまえて「このバスはフェルケール博物館に行きますか?」と聞いたところ「近くまで行くよ、終点で降りればいいよ」とのことで乗り込む。こちらありがたいことにエスパルスドリームプラザ行きの無料循環バスで、終点についたところで運転手さんに道を聞くと通りまで出て教えてくれた。エスパルスドリームプラザからは歩いて5~6分、駐車場を挟んだレンガ造りの建物である。

清水港湾博物館フェルケール博物館は、清水港を主題とした博物館である。清水港にまつわるもろもろを展示していたのだが今一つ時間が足りずなでる程度になってしまった。博物館の奥に扉があり、その向こうに缶詰博記念館がある。

この建物は、昭和4年わが国で初めてマグロの油漬缶詰製造を企業化し、同5年アメリカに輸出した清水食品株式会社の創立当時の本社社屋で、市内築地町から移転、補修したものです」

まぁ正直建物としてはそんなによいものではないが、中には、往時の缶詰製造工程の緻密な模型やら、当時マグロの缶詰を製造すために利用していた道具などが展示されている。

マグロフレーク手動選別用ふるい、食塩投入杓子

マグロ缶詰の肉詰め形態模型と打検棒

検缶機模型

日本最古の缶詰ラベル

帝国陸軍の急な要請に応じて正月用口取缶詰の適良品を完納したことに対する感謝状

静岡県内の缶詰業者は昭和31年に全国に先駆けて初任給に最低賃金を設定した。国による最低賃金法の施行は昭和34年7月だったので3年も先んじていたことになる。

さてフェルケール博物館といえば外せないのがこの美しい帆船模型である。しかしなでる程度にしか見れなかったため語ることがない。

ここでは輸出用茶箱ラベルの絵葉書8枚入り400円を購入した。なんでこんなに安いんだ。

夕飯にごはんや桜に行くつもりだったがサイトには7時までとの表示があるのに6時までとのこと。いったん宿に戻ったのが仇となった。仕方ないのでなんかこう清水港っぽいご飯を食べられるところを探す。

清水港の海岸食堂潮騒膳を頂くことにした。

カメラを持参したにもかかわらず一番定番のレンズを忘れたためiPhone撮影の画像である。

本鮪中とろ・赤身・びんとろ・サーモン・生しらす・生桜海老釜揚げしらす、これに左上のマグロカツがついて1950円である。

生シラスが江の島でいただいたものより美味しかったことに強い敗北を覚えた。清水港はいいな…。後お味噌汁もお出しが効いていて美味しかった!サクラエビはかわいらしいせいかなんだかいたいけな味がするように思われた。

宿に帰る前にマックスバリュエクスプレス清水駅前店で静岡産を探す。関東と関西の境界のせいかどちらの商品も並んでおりそして静岡独自のピンと来るものがあまり見当たらない。地元産のねらい目は、漬物、豆腐類、魚肉練り製品、醤油やみそなどの発酵調味料、地元野菜、地元果物、麺類、乾物などだが、頼みの綱の魚肉練り製品が売り切れなのかもともと揃えていないのか僅少で、豆腐類は重いうえにピンと来るものがなく、…まぁそんな感じだった。

しかし菓子コーナーで渋いジャケを見つけて興奮する。

ミマスヤの元祖みそ玉とみそ玉落花生入り。なんだかわからんがこんなもの見せられたら買わんわけにはいかんだろう。

あとは家で静岡おでんを再現できそうなアイテムを。

静岡おでん黒スープと

焼きそばにももれなくかかってるこれ!

これで勝つる。

 

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